7月 13, 2017 19:15 Asia/Tokyo
  • 墓を囲う柵作りという繊細
    墓を囲う柵作りという繊細

今回は、墓を囲う柵作りという繊細かつ精神性溢れる芸術についてお話しすることにいたしましょう。

墓を囲う柵作りは、イランの伝統工芸の中で、特別な地位を誇っており、イランにおける人生、宗教、芸術の結びつきの明らかな例の一つです。イスラム教においては、礼拝所や巡礼地は、現世の物質的なぜいたく品の表れとは見なされず、この場所の空間を美しく整えることは、巡礼者をひきつけ、宗教の偉人の偉大さに頭を垂れるために行われていることです。このため、この聖廟の管理者と支持者は、第一に、この場所の繁栄と拡大に集中するのです。

イマームレザーの聖廟

 

イスラム教徒の信条に基づき、宗教の偉人の墓の傍らに、巡礼者のための福祉施設を整え、文化的、そしてある程度の物質的サービスを提供することは、イスラムの価値や文化を広める上で、建設的な役割を担っています。宗教的な思想において、宗教の偉人に敬意を払う行為の一部は、実際、彼らの言葉や指示を守り、この指示を実行することですが、明らかに、精神的な地位を守ると共に、墓を維持し、修繕し、聖廟を作る上で芸術的な原則を守ることは、イスラム教徒一人ひとりの義務となっています。

 

墓を囲う柵は、金属工芸の一種と見なされ、明確な設計により、金属、木材、あるいは石を組み合わせて作られています。イラン・イスラムの伝統において、保護柵は直方体であり、宗教の偉人たちの墓の周囲や上部に取り付けられています。柵作りにおいては、神聖さの要因となること、人の顔をシンボルとして用いないこと、コーランの節、または宗教文化におけるシンボルを用いることなど、幾つかの重要な点に注目すべきです。さらに建設者の名前と日付を記し、柵作りの基準、その所有者のしるしを用いることなども、イランの柵作りに欠かせないものとなっています。

墓の柵

 

墓の柵作りにおいて、イランの熟練した芸術家たちは、一連の技術を駆使し、それらと共に芸術作品を作っています。多くの場合、柵を作るには金属細工師の協力を伴い、中でも金細工師、彫金師、格子職人、エナメル職人が優先となっています。

 

幾つかの墓の柵のデザインを行ったイランの有名な画家のファルシュチアーンは、この芸術の特徴について、このように語っています。

 

「墓の柵のデザインには特別な技術がいり、デザインや絵画を超えて、別の点に注目しなければならない。まずはじめに彫金師によって柵のデザインが提示される。彫金師の道具は筆と金槌であり、細かな図柄を描いていく。次に、巡礼者が遠くや近くからやって来てその前に立ったときに、宗教的な空気を感じることができるように柵を作らなければならない」

イランの有名な画家のファルシュチアーン

 

金属技術の知識を教えていたこともあるファルシュチアーンは、続けてこのように述べています。「金属技術の知識と美学、幾何学、イスラム・イラン芸術の融合は、柵のデザインを大いに助ける。柵作りにおいて、全ての模様とデザインは互いに結びつき、人々の目を神の方に導くべきである」

 

12人のイマームの中で、3代目イマーム、ホサインはイスラム・イラン文化において特別な地位を有しており、イランの芸術家たちは彼の生涯や殉教に関する多くの作品を作っています。基本的に柵作りの歴史は、記念碑の建設に端を発し、現在イラク南部のカルバラにあるイマームホサインの聖廟に遡ります。墓の柵の貴重な例の一つに、このイマームホサインの墓の柵があり、そのデザインは何年もかけて行われ、最終的に最も優れた特徴を持つ柵が作られました。ここでこの柵についてご紹介する前に、イマームホサインの墓の柵作りの歴史についてお話しすることにいたしましょう。

イマームホサインの聖廟

 

イマームホサインの墓の最初の柵は、モフタール・サガフィーの命令で作られました。モフタールは、カルバラでのイマームホサインの殉教に関わった人々が失脚した後、レンガと漆喰で建物を建てるよう命じました。彼はその傍らにもモスクを建設し、この建物はウマイヤ朝が終わり、アッバース朝が始まるまでそのままの形で残されました。時が経過し、様々な時代において、為政者たちがこの建物を再建、修復したり、あるいは預言者一門への敵対心によって破壊されたりしました。

 

現在の形のイマームホサインの墓の柵は、981年のデイラム朝時代に遡ります。ブワイフ朝はイマームたちの墓を重視したことから、チークの木から作られた柵を象牙で装飾し、それをイマームホサインの墓の上に設置しました。そしてこの柵を高価な布で覆い、この慣習が他の宗教の偉人の墓にも広まりました。

 

1508年、サファヴィー朝のシャー・イスマイールはバグダッドを征服すると、イマームホサインの墓を巡礼するため、カルバラに向かいました。そして金の柵を作るよう命じました。サファヴィー朝の後、ガージャール朝以降もイランの芸術家たちは二つとない素晴らしい作品を作り、折に触れて、その柵に新たな芸術を加えていきました。今日、シーア派の芸術家たちの思想からインスピレーションを受けたエナメル細工、金、銀細工、彫金、木材によるモザイク、木工、ガラス細工といった芸術が、これらの柵を飾っています。

 

この1年半にカルバラを訪れた人々は、多くの美しい柵を目にしています。それらはイラン人芸術家の信仰、芸術、緻密さ、熟練した技術の産物です。この聖廟の柵の木材の重さは5350キロで、銀の重さは4600キロ、金は118キロ650グラム、銅の重さは700キログラム、ステンレススチールの重さは250キログラムとなっています。柵の上部は、主に金のように見えますが、実際は銅でできており、それに金メッキが施されています。一方、柵の下の部分は純金でできています。この柵は、時間の経過によって磨耗せず、耐久性を維持できる材質となっています。

イマームホサインの聖廟の柵

 

イマームホサインの聖廟の柵は、およそ33平方メートルの面積を囲み、大きさは5×7メートルとなっています。この柵には、20の窓があり、巡礼者が柵の前に立ったときに、下から上に視線が誘導され、アッラーという言葉と預言者の名前が合わさって見えるように設計されています。

 

イマームホサイン聖廟の新しい柵は4年かけて作られ、その設計者は画家のファルシュチアーンでした。この柵の木材はミャンマーから取り寄せられ、イランの最も優れた巨匠たちによって制作されました。この作品は重さ12トンで、それには20の窓があります。この作品は保存状況を整え、一部の部品を取り替えることで、400年もつことが想定されています。この作品にはイラン芸術の全てが集約されており、各所にコーランの節と神やイマームの名前が見られます。

 

墓の柵の他、聖廟の扉もまた、柵や金属工芸の職人が制作しています。さらに、イランの追悼儀式で使用される装飾品も多くがこれらの芸術家によって作られています。聖廟の柵やこうした追悼儀式の装飾品制作は昔からマシュハド、イスファハーン、タブリーズ、ゴムなどで盛んであり、この地域の職人による作品はイランの最高傑作と見なされています。

 

 

タグ