西側諸国が望む中国とは? アヘン戦争から考える
(last modified Wed, 20 Mar 2024 09:26:09 GMT )
3月 20, 2024 18:26 Asia/Tokyo
  • アヘンを吸う中国人
    アヘンを吸う中国人

1840年から2年間にわたって続いたイギリスと清の間のアヘン戦争は、西側諸国がどういう中国を望んでいるかを明らかにしてくれます。

中国ではもともと、アヘンは医薬品として使用されていました。これに目を付けた大英帝国は、東インド会社を通じてインドでアヘンを栽培し、中国への輸出を開始します。それまで英中間の貿易は、英国側の圧倒的な赤字で、支払いのために銀の国外流出が続いていました。旺盛な需要があるアヘンを輸出することで、英国は貿易赤字の是正を図ったのです。もっとも、清はアヘンの輸入を1796年に禁止していました。医療目的から逸脱し、麻薬としての吸引が増え、社会風紀が乱れ始めていたからです。英国によるアヘン輸出は、清国政府の目をかいくぐった密輸貿易でした。

1820年から1828年までの間に、英国から清へのアヘン輸出量は3倍に増え、1832年には年間1500トンのアヘンが中国に輸出されるまでになりました。大英帝国は、その黎明期にタバコ貿易により大西洋を制覇したように、中国をアヘンで支配できることに気付いたのです。

英国から大量に流入したアヘンにより、1830年までに清国内では400万〜1200万人の男性がアヘン中毒になったと言われています。

1839年、清国政府はついにアヘンの輸入禁止措置に踏み切り、すでに国内に持ち込まれていたアヘンも処分しました。これに英国側は反発し、第一次アヘン戦争が始まることになりました。戦争は英国の勝利に終わり、清はさらなるアヘンの輸入を飲まされることになります。

戦争の命運を決定づけたのは、1842年7月、英国軍が現在の中国江蘇省・鎮江にある京杭大運河を封鎖したことでした。これにより清は補給路を断たれ、国内に飢餓が蔓延することになります。清は降伏を余儀なくされ、南京条約という不平等条約で英国側に多大な賠償金を支払わされました。英国は賠償金以外にも香港を割譲させた(1997年返還)ほか、清に対して完全な自由貿易特権を手に入れました。

このことは、清国内に強い反英感情を植え付けることになりました。英国人や施設に対する攻撃が相次ぎ、両国関係は緊張を増します。そして1856年10月、英国船籍のアロー号が清側によって拿捕され、乗組員らが逮捕される出来事が起こります。これに英国側は強く反発し、1857年3月、仏軍とともに戦争を開始します。これが第二次アヘン戦争(アロー戦争)です。

戦争はまたしても清側の敗北で終わり、1860年の北京条約で香港島の北部にある九龍半島が割譲されました。アヘン貿易も引き続き認められ、清国内にはさらにアヘン中毒が蔓延することになります。

北京条約と1858年に締結されていた天津条約で、清は関税の撤廃や治外法権、国内複数港の開港、外国人外交官の駐在、清国民の海外移住禁止、公文書における英語使用の強要などを認めさせられました。

アヘン貿易を手掛けていた英国の船医ウィリアム・ジャーディンは、後にこう述懐しています。

「私が知る限り、アヘン貿易は紳士が行うのに最も適した商取引である」

 

西側によりアヘン中毒をもたらされた清
アヘンを吸う中国人
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1838年には年間4万トンのアヘンが清に輸出された

 


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