10月 07, 2024 17:25 Asia/Tokyo
  • テクノロジーに囲まれた現代人;失われる美しい人間的経験
    テクノロジーに囲まれた現代人;失われる美しい人間的経験

テクノロジー・先進技術はかつては人間が使いこなすものでしたが、今日ではそれに人間が翻弄されているように見受けられます。

喧騒の現代世界の狭間で私達は、かつて夢のまた夢とされていたテクノロジーに囲まれていることに気づきます。小型スマートデバイスからSNSに至るまで市場に登場するすべての先進技術は、より良い、より速い、より楽な生活という吉報をもたらしています。しかし、果たしてこうした技術革新は私たちを明るい未来へと導いているでしょうか?または、私達はその途中で価値あるものを見逃していないでしょうか?パールストゥデイのこの記事では、この問題について概観しています。

テクノロジーは、私たちの表層的な捉え方ではおそらく、人類の進歩のための唯一の手段、つまり人間と無限の可能性との架け橋とされています。しかし、これらの華やかな外見の裏には、私たちと人間性の間の溝の拡大という現実があります。その亀裂は日に日に拡大しており、しかもその中では、感情や創造性、深い思考が、表面的で素早いやりとりに取って代わられているのです。

どうやら、私たちは今日、かつては自分たちのために動いてくれていたテクノロジーに翻弄されているようです。私たちは、絶え間なく続く通知の着信、メッセージやアップデートの無限の連鎖に自らを閉じ込めているようなものです。今この時代では、時間はもはや貴重な資源ではなく、たとえ平穏や深く考えるという行為を失うことにつながっても、一瞬一瞬が満たされるべきだという考えが一般的になってきているのです。

その一方で、テクノロジーへの依存は人間のアイデンティティにも影響を及ぼしています。かつて対面でのやりとりに意味が見出されていた人々の間のコミュニケーションは、今では短文のメッセージやステッカーのやり取りが主流になっています。つまり、私たちは今や、スピードと効率の名の下に、奥深い真の感情も最も表面的な方法で表現される世界に住んでいることになります。

おそらく、私たちが「進歩」と認識しているものは、人類が本来あるべき道から逸脱することなのかもしれません。人間であることは常に、内省、創造性、そして世界や他者との有意義な交流をもって定義づけられてきました。しかし、テクノロジーが私たちの生活のあらゆる瞬間を支配する世界で、私たちは果たして、人間であることの本来の意味を保つことができるのでしょうか?

今のデジタル時代において、私たちは進歩を求めながらも、おそらく少し立ち止まって、この進歩により私たちはより良い人間になるのか、はたまたそれにより私たちの人間性の本質が破壊されてしまわないかを、自らに問いかける必要がありそうです。

 


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