ノーベル平和賞の苦い皮肉、逸脱した賞/待機リストに載るトランプ氏
(last modified Wed, 09 Jul 2025 06:03:23 GMT )
7月 09, 2025 15:03 Asia/Tokyo
  • ノーベル平和賞の苦い皮肉、逸脱した賞/待機リストに載るトランプ氏
    ノーベル平和賞の苦い皮肉、逸脱した賞/待機リストに載るトランプ氏

世界平和の促進という使命を帯びていたノーベル平和賞は、今日ではその使命から逸脱し、政治的な賞に成り下がっています。

【ParsToday国際】ダイナマイトの発明で知られるアルフレッド・ノーベルが自分の名前と私費で5つの科学分野の賞を設立したとき、この賞の一部であるノーベル平和賞が、国家間の友愛や世界平和の促進に最も貢献しなかっただけでなく、平和に反対する手段となった人物に授与される日が来るとは想像もしていなかったそうです。

ノーベルの遺言によれば、平和賞は前年に「国家間の友愛、常備軍の廃止または縮小、そして平和の維持と促進のために最も多くの、あるいは最も優れた功績を挙げた」人物に授与されます。この賞は、ノルウェー議会によって選出された5人の委員によって政治的偏見なく、世界平和の促進のみを目的として授与されることになっていました。

しかし、時が経つにつれ、ノーベル平和賞は本来の目的を逸脱するとともに、西側諸国が政治的欲求を満たし、長年自らと敵対関係にある国々に圧力をかけるための手段となり、もはや権威ある賞とはとても考えられないものとなっています。この賞は、しばしば西側の著名な犯罪者や、東側陣営の敵対勢力との紛争において西側の手先となることを受け入れた東側の裏切り者に授与されてきており、その実質的な内容からして「ノーベル政治賞」への改称がふさわしいといえるほどです。

 

待機リスト入りのトランプ米大統領

ドナルド・トランプ米大統領は、東アジアの緊張緩和を主張したこと、及び北朝鮮指導者との首脳会談で果たした役割により、2018年に初めてノーベル平和賞にノミネートされました。しかし、この首脳会談は本当に平和を生み出すものだったのでしょうか?専門家の見解では、この会談は執行可能な本物の合意には至らなかっただけでなく、地域的な緊張と軍拡競争が続いたと考えられています。その後数年間、トランプ氏は平和をもたらさなかっただけでなく、JCPOA包括的共同行動計画(通称;対イラン核合意)からの離脱、対イラン制裁強化、核保有政権たるシオニスト政権イスラエルへの無条件支持、さらには軍事攻撃の示唆による脅迫などによって、新たな情勢不安定の引き金となりました。

トランプ大統領は2期目にも平和と安全の創出というスローガンを掲げて選挙戦に臨みましたが、世界の緊張と紛争の解決という彼の劇的な約束は今のところどれも実現していません。

ウクライナ戦争の終結というトランプ大統領の選挙公約が果たされなかった中で、多くの専門家の間ではトランプ氏はガザ戦争での対イスラエル支持により、パレスチナ人殺害というシオニストの犯罪の共犯者とみなされています。

ノーベル平和賞の受賞を目指すトランプ氏は、最近のイスラエルとイランの戦争においていかにも停戦合意の仲介役であるかのような印象を与えようとしています。しかし、このこととは裏腹に、アメリカはほんの数日前まで明らかに紛争当事者であるイスラエル側についていました。

 

ノーベル平和賞:栄誉から政治の道具へ

ノーベル平和賞が政治的手段へと変貌する現象は、長年にわたり幾度となく繰り返されてきました。そして、この逸脱行為が続く中で、罪のない人々の血に汚れた多くの政治家が、ノーベル平和賞の受賞に成功してきたのです。

 

1.ベギン元イスラエル首相

 

イスラエルのメナヘム・ベギン元首相


ベギン・イスラエル元首相はイスラエルとエジプトの和平をもたらしたキャンプ・デービッド合意により、1978年にノーベル平和賞を受賞しました。彼は犯罪の一つとして1948年4月、イスラエル軍によるパレスチナ人虐殺事件であるディル・ヤーシーン村事件という人類史上最も暗澹たる悲劇の一つを引き起こしました。その日の夕方まで行われた少なくとも100人のパレスチナ人女性と子供の虐殺・強姦という行動の後、その夜にはその近辺でこの虐殺を祝うという行為に及んでいます。

 

2- イツハク・ラビン第5代イスラエル首相

 

第5代イスラエル首相イツハク・ラビン氏


イツハク・ラビン氏は1994年、オスロ合意(ノルウェーの仲介でイスラエルとPLOパレスチナ解放機構がノルウェー首都オスロで初めて和平交渉に合意し、パレスチナ暫定自治協定を成立した合意)への調印という功績によりノーベル平和賞を受賞しました。彼は1948年の第一次中東戦争と1967年の六日間戦争において、イスラエルによるこの地域への侵略を主導した歴があります。

 

3- ペレス・イスラエル元首相・大統領

 

イスラエル第9・12代首相及び第9代大統領を務めたシモン・ペレス氏


シモン・ペレス氏は、前出のイツハク・ラビン氏及び当時のヤセル・アラファトPLO議長と共に1994年のノーベル平和賞を受賞しました。首相在任中、ペレス氏は「怒りの葡萄作戦」によるレバノン侵攻を命じました。「怒りの葡萄作戦」中に発生したカナ虐殺は、当時の最も悲惨な事件とされています。

 

4- ミャンマーの与党指導者・元外相アウンサン・スー・チー氏

 

ミャンマーのアウンサン・スー・チー元外相


アウンサン・スー・チー氏は、民主主義と人権のための非暴力闘争により1991年にノーベル平和賞を受賞しました。しかし彼女は、数千人以上に上るイスラム教徒ロヒンギャ族の殺害と難民化、そして彼らの基本的市民権の侵害をまねいた危機の間、軍の犯罪を容認する傍観者に過ぎませんでした。

 

5- バラク・オバマ第44代アメリカ合衆国大統領

 

バラク・オバマ第44代米大統領


2009年、当時アメリカ大統領だったバラク・オバマ氏は「国際外交の強化に向けた努力」と称した功績によりノーベル平和賞を受賞しました。しかし、オバマ大統領の任期中には8カ国(アフガニスタン、イエメン、イラク、パキスタン、ソマリア、リビア)が様々な口実で爆撃され、これらの国々における米軍の軍事作戦で多くの民間人が命を落としています。

 


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