Pars Today
今回はイランの文化と、シーア派3代目イマームホサインのカルバラの蜂起との関係についてお話しすることにいたしましょう。
西暦680年にあたるイスラム暦61年モハッラム月2日、イスラムの預言者ムハンマドの孫で、シーア派3代目イマームであったホサインは、家族や教友たちとともに、現在のイラク南部のカルバラの地に着きました。
アラブの人々は、イスラムが出現する前から、モハッラム月を尊重し、この月の戦争や流血は禁じられていました。
イスラム暦61年、西暦680年、シーア派3代目イマーム、ホサインは、ウマイヤ朝の圧制的な為政者であったヤズィードに忠誠を誓うことを拒みました。
イスラム暦モハッラム月9日は、シーア派3代目イマーム、ホサインが殉教する前日で、タースーアーと呼ばれています。
前回は、イラン各地のモハッラム月の習慣についてお話し、カルバラの悲劇を吟唱するロウゼハーニーとアラムと呼ばれる飾りを持って道を練り歩くダステギャルダーニーという2つの儀式についてお話しました。今回はこの続きです。
預言者ムハンマドの一門に忠誠を誓う人々は、世界各地で、この偉大な一門への愛情と忠誠を示すために特別な儀式や慣習を有しています。
再び、イスラム暦モハッラム月がやってきました。
モハンマド・イスファハーニーによるモハッラム月の追悼期間の哀歌です。
今年もまた、イスラム暦の最初の月であるモハッラム月がめぐってまいりました。この月は、壮大な抵抗運動を人々の記憶に蘇らせるものです。