イラン外務省報道官、「イラン政府・国民は自らの合法的な権利を譲らない」
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イラン外務省のキャンアーニー報道官は、「イラン政府・国民は、植民地支配による利益を得ていた国々の過剰な要求・強権的な物言いに対して立ち向かっていき、自らの合法的な権利を譲ることはしない」と述べました。
(last modified 2026-03-02T10:12:05+00:00 )
9月 03, 2022 15:42 Asia/Tokyo
  • イラン外務省のキャンアーニー報道官
    イラン外務省のキャンアーニー報道官

イラン外務省のキャンアーニー報道官は、「イラン政府・国民は、植民地支配による利益を得ていた国々の過剰な要求・強権的な物言いに対して立ち向かっていき、自らの合法的な権利を譲ることはしない」と述べました。

キャンアーニー報道官は3日土曜、1900年代初頭にイラン南部での対英植民地主義闘争を指揮したライース・アリー・デルバーリーの殉教記念日に際し、インスタグラムに、「対植民地主義闘争の日は、勇敢な兵士で植民地主義者への対抗のシンボルだった闘士、ライース・アリー・デルヴァーリーを思い起こす日だ」と投稿しました。

9月3日は、ライース・アリー・デルヴァーリーが殉教した日にあたり、イランでは「対英植民地主義闘争の日」とされています。

ライース・アリー・デルヴァーリー(1882~1915)は、自由を求めた人物で、第一次世界大戦中に、イラン南部ブーシェフルにおいて英国植民地主義勢力に対する蜂起を指揮しました。

ブーシェフルのタンゲスターン地方の住民は、ライース・アリー・デルヴァーリー指揮のもと、効果的な攻撃で英軍に打撃を与え、そのうち1つの攻撃では、デルヴァーリーは英軍の将校2名とインド兵11名を倒しています。

この勝利は、軍事的重要性もさることながら、政治的重要性も兼ね備えていました。それは、人々が英国を恐れなくなり、頭にあったこの侵略者の権威が打ち砕かれたからです。

デルヴァーリーは1915年夏、英軍との衝突において33歳で殉教しました。

 


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