6月 27, 2016 18:57 Asia/Tokyo

イランイスラム共和国の歴史には、覇権主義体制が直接関わった数々の苦い出来事が刻まれています。

この中で、6月26日から7月2日までは、その間に起こった出来事に注目すると、特別な1週間と見なすべきでしょう。歴史の中でこの1週間の間に、アメリカ率いる覇権主義体制が直接関与したイランの国民と体制に対する数々のテロが起こりました。

 

1981年6月、イランは、1週間の間に、複数のテロ攻撃にあいました。イランの政府関係者に対するテロ組織モナーフェギンの一連の攻撃は、この段階でピークに達しました。

1981年6月26日、当時大統領だった現最高指導者のハーメネイー師が、テヘランのモスクで演説していたところ、テロリストの攻撃を受けました。この暗殺未遂事件の後、27日には、イランイスラム共和国史上最大の爆発が発生し、テロ攻撃が新たな段階に入りました。この事件では、イラン最高裁判所のべへシュティ長官と72人の政府、宗教の要人が殉教しました。

また同年8月29日には、爆弾テロで、ラジャーイー大統領とバーホナル首相が殉教しました。

アメリカは、モナーフェギンにより、数千人の罪のない人々が死亡したことを知っていながら、2012年9月28日、このグループをテロ組織のリストから除外し、さらにこのグループを保護しています。

イランは1979年のイスラム革命勝利後、テロ計画の拡大に直面しました。1万7千人以上の犠牲者を出したことは、こうした苦い事実を証明するものです。1979年から81年まで、モナーフェギンは政府関係者、革命勢力、様々な階層の人々を殺害し、イランから逃亡する際、まず初めに欧米諸国の支持の元、しばらくの間フランスに潜伏し、その後フランスの同意を得て、イラクに入りました。アメリカのイラク侵攻とサッダーム・フセイン政権の崩壊後も、このテログループはアメリカとヨーロッパの支援を受けていました。

最高指導者のハーメネイー師は、25日土曜、テロの殉教者の遺族との会談で演説し、イスラム共和党事務所爆破事件から35年が経過したことについて触れ、「この犯罪を行った冷酷で邪悪なテログループは、国外逃亡した後、何年も、テロ対策や人権擁護をうたう欧米諸国の庇護のもとに置かれている」と語りました。最高指導者は、このためこの事件を数多くの教訓を含む大きな出来事だとしました。

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