週刊イラン
この時間は、イラン暦昨年のさまざまな脅威に対するイラン国民の統一と賢明な対応について見ていくことにいたしましょう。
イラン暦の昨年は、さまざまな陰謀や脅威に対処する上での、イラン国民の統一と団結の力が示された年でした。
イランは、1979年のイスラム革命勝利当初から現在まで、敵の陰謀に抵抗し、自分たちの力を示してきました。イランイスラム革命最高指導者のハーメネイー師は、昨年、さまざまな機会に、脅威に対して力強さを保つ必要性を繰り返し強調しました。
明らかに、国力とは、武器を持つことだけではありません。技術、信仰、抵抗力、革命的、イスラム的なアイデンティティを持つことも、力を生み出す要素です。ハーメネイー師はこれについて、シリアとイラクでのISISとの戦いにおける大きな勝利の後、およそ40年間のアメリカとシオニストによる、イスラム体制に対する制裁や圧力、陰謀に触れ、次のように語りました。
「これらすべての圧力にも拘わらず、イランは不信心や覇権主義に対抗するために活躍が必要なあらゆる場面において支援にかけつけること、それを明らかにする上で、他者に遠慮することはないということをはっきりと宣言する」
イラン国民の敵、特にアメリカは、イラン暦の昨年、イランを内側から分裂させようとしました。彼らは、国内で扇動し、計画的に混乱を引き起こすことで、イスラム体制にダメージを与えることができると考え、イランとイラン人に対する誤った考え方に基づき、昨年のイスラム革命勝利記念日を、盛り上がりに欠ける行事にしようと全力でプロパガンダを行いました。
しかし、イラン国民は、敵のことを的確にとらえ、この40年近くの間、敵の陰謀の影響を受けないことを示してきました。そのような抵抗は、現在、イスラム体制の強固な支えになっています。
イラン国民は、昨年のイスラム革命記念日、全国の行進に参加し、賢明さを示すとともに、陰謀を企てる人々に対し、逸脱した流れが、体制の力にダメージを与えるのを決して許さないことを敵に示しました。
イラン国民は、革命記念日の行進に一致団結して参加し、実際、アメリカの脅威に強い回答を与えました。ハーメネイー師の言葉を借りれば、イラン国民の強い意志と洞察力が、大きな出来事を生み、イラン国民の運動が敵を後退させ、彼らの強い決意が、彼らの目論見を崩したのです。ハーメネイー師は次のように語っています。
「イラン国民は実際、イランのイスラム革命の活力を敵に示し、イスラム共和国の創始者であったホメイニー師の理想を守ることを、その情熱的な参加とスローガンによって声高に叫んだ」
また、デイ月9日の国民の行進への参加は、イラン国民が、革命と体制や最高指導者の価値観を守る上で、完全に賢明さを保ち、重要な場面に存在することを示しました。この歴史的な参加は、ハーメネイー師の言葉を借りれば、イスラム革命の歴史において、国民の意志と信仰を支えにした動き、洞察力から生まれた、忘れられない頂点となる動きとなりました。
2009年12月30日の行進への国民の自発的な参加は、実際、陰謀に対するイラン国民の洞察力と統一の象徴です。イラン大統領選挙後の陰謀は、実際、体制を転覆させるためのシナリオによって作り出されました。そのため、大統領選挙後の街頭での暴動は、通常の出来事ではなく、ビロード革命と呼ばれる革命、ソフトな革命をモデルに計画された特別な現象だったのです。
2009年12月30日、つまりイラン暦デイ月9日の行進は、アメリカが、イランの体制を孤立させ、国民の政治参加への意欲を失わせることに全力を尽くしていた中で、アメリカの目論見を崩しました。
アメリカは、イスラム革命勝利後、イランの体制を弱め、イラン国民の統一を崩そうとしてきました。そして、イランのイスラム体制を内側から対立させようとしたのです。しかし、2009年の大統領選挙後の陰謀、そして、2017年12月のイランの一部の都市での街頭における暴動の繰り返しといった出来事に対するイラン国民の抵抗は、国民の一致団結した参加が、イスラム体制と革命の安定の重要な柱であり、敵の影響力の行使を決して許さないことを示しました。
2017年12月、イランの一部の都市で、人々が4日間に渡って集会を開き、スローガンを叫び、破たんした金融機関の預金の先行きが不透明なこと、物価の高騰、政府の管理能力の低さなどに抗議しました。こうした集会の一部が、外国の支援を受けた暴徒によって混乱に発展しました。
しかし、イラン国民は、最近のこうした流れに対して賢明に対応し、再び、敵を把握していることを示しました。ハーメネイー師は次のように語っています。
「これは、国民の反国民の動きに対する戦い、イランの反イランに対する戦い、イスラムの反イスラムとの戦いであり、今後も続いていくだろう」
ハーメネイー師は、過去のさまざまな陰謀に触れ、次のように語りました。
「この間、アメリカの現在の政府関係者など、一部の人々は、イラン国民に敵対し、ビロードの手袋の下に鉄拳を隠すなどの陰謀を企ててきた。だが、これらすべての陰謀により、イランの体制責任者と国民の自信が高まり、敵の陰謀に対抗する道を見出すことになった」
これらの陰謀の後に明らかになった証拠は、2017年12月の暴動も、陰謀の一部として計画され、体制を転覆させるための行動の一環だったことが分かっています。しかし、この陰謀も失敗に終わりました。
ハーメネイー師は、イランの空軍や航空防衛部隊の司令官や関係者との会談で、この陰謀のさまざまな側面について次のように語りました。
「さまざまな情報は、今回の出来事が計画的なものであったこと、その形成にはトライアングルが関わっていたことを示している」
ハーメネイー師は、さらにこう続けています。
「このトライアングルの一角はアメリカとシオニストだった。彼らが数か月に渡ってその計画を練った。これにより、動きを小さな都市から始め、中心部に広げることになった」
ハーメネイー師は、トライアングルのもう一角は、ペルシャ湾岸の豊かな政府のひとつであり、この計画の資金をまかなったこと、そしてトライアングルの三つ目は、イランの反体制派テロ組織、モナーフェギンに関係する人々であり、数か月前から準備していたと語りました。
イラン国内の混乱が、イランの近隣の2つの指令室から誘導されていたとする、ハーメネイー師の発言は、これらの出来事の真相をさらに明らかにしています。多くの証拠は、これらの出来事の原因を分析する中で、国外の計画と国内の要因の両方を考慮に入れる必要があることを示しています。
モナーフェギンの指導者、ラジャヴィは、今年2月13日、サウジアラビアの新聞のインタビューで、「イランの一部の都市での暴動には、モナーフェギンの関係機関が関与した」と語りました。政治、文化問題の専門家のジャリーリー氏は次のように語っています。
「暴動には国内と国外の2つの発端があり、暴動を引き起こすことは、各国の体制を転覆させるための、世界の覇権主義者の常とう手段である。敵は、体制を転覆させるために、国内の人々を利用すべきだという結論に達した。このため、世界各地のアメリカの関係機関が、人々を訓練するための措置を講じた」
ジャリーリー氏は、国民を政治的、経済的な危機に陥らせることや制裁は、国民に体制への不満を抱かせるための陰謀からくるものだとしています。
こうした中、デイ月9日や革命記念日の行進などに大々的に参加したことは、さまざまな脅威に対処する上でのイラン国民の洞察力、統一を具現し、革命の精神が続いていること、イスラム革命の成果や価値観が永遠であることを示しています。