イメージが語るイラン
ペルシャ絨毯に見る伝統と芸術
イランは、世界の手織り絨毯発祥の地のひとつとされています。
絨毯の縦糸と横糸は、人生の縦糸と横糸とも分かち難く縒り合わさっており、イランの家庭では、絨毯が見られないということはほとんどありません。
イランにおいては、部屋に手織り絨毯を敷くことが、自宅の飾る方法のひとつとなっています。昔の室内は家具などの様式も現在とは異なり、部屋の床全体に絨毯を敷き詰めるのが一般的であり、絨毯は非常に大判のものが用いられていました。しかし現代は、ソファーや椅子がクッションや背もたれに代わったことで、一般家庭に大判の絨毯が敷かれることが少なくなり、かわりに小さめの絨毯が流通するようになりました。そのような高価な絨毯は、足元に敷くことはせず、額に入れられ絵画のように壁にかけられています。
イランにおいて手織り絨毯は、単純な手工芸品などではなく、図像、文字、神話、象徴、メタファーなどの様々な要素が合わさった、ひとつの文化となっています。手織り絨毯は、建築、詩、絵画から手工芸まで様々な芸術と結びついており、その製作過程には、価値ある伝統や慣習がともなっています。自然にある一次原料を使用している手織り絨毯は、環境にも優しい芸術であり、産業汚染につながることはほぼありません。
イラン絨毯が話に上る際、普通はアラベスクや幾何学的な抽象模様で埋め尽くされた図柄の絨毯が思い浮かべられると思います。しかし、それは必ずしも絶対ではなく、広く知られた図柄のほかに、人や動物の形も、昔からイラン絨毯には織り込まれてきました。
絨毯に描かれる図柄を語るとすれば、おそらくその最も古い例として、「パジリク絨毯」の人型の柄を話題にすることができるでしょう。この現存する世界最古の絨毯は、1949年にロシア人考古学者セルゲイ I.ルデンコが、ロシア連邦の南シベリア・アルタイ地方にあるパジリク河岸で、スキタイ族統治者の1人の凍結した古墳の内部から、他の副葬品とともに発掘しました。測定調査の結果、この絨毯は紀元前5世紀のものであり、凍結のために長い間朽ちることなく、良好な状態を保っていたことが判明しました。ほぼ四角形をした4㎡ほどのこの絨毯には羊毛が使われ、40ラジ(Raj、絨毯約6.5cmmあるいは7cmあたりの結び目の数を示す単位)で織られています。
研究者らは、この絨毯史で最も重要な資料について、アケメネス朝期のイランで織られ、贈答品もしくは交易品として同地に渡り、スキタイ族の有力者の墓に納められたと説明しています。この絨毯には、乗馬する人々、草を食むガゼルたち、鷲の頭と獅子の体を持つ伝説の生物の姿などが描かれ、四辺の縁には花模様があしらわれています。
世界で最も古いこの絨毯は、イラン絨毯職人の驚くべき卓越の証拠にもなっています。一段目の縁取りでは、枠の中に想像上の動物たちの図柄が繰り返し並べられています。二段目の縁取りでは、乗馬する人とその従者が14組、一方向に向かって進んでいます。馬の脚は短く、尾には結び目があり、それぞれ鶏冠飾りを頭に着けています。馬上の人物と従者は1人おきに並んでいて、ペルセポリス遺跡にあるレリーフを想起させます。三段目の縁取りでは、四方に開いた4片の花と4枚の葉を持つ植物が、絨毯をぐるりと囲んでいます。四段目の縁取りでは、広がった角をもつ大鹿24匹の草を食む姿が、二段目の馬たちと完全に対称になるように並んでいます。さらに五段目の縁取りでは、最初のモチーフが繰り返されます。絨毯の中央には、24個の四角い枠が並び、そのひとつひとつに蓮の花に似た八芒星の模様が描かれています。
一方、現代イランで見られるようになった絨毯の模様やモチーフの主要な流れのひとつに、絵画調絨毯があります。このような絨毯は、写実芸術が広まったガージャール朝時代から次第に姿を見せ始め、絨毯デザインにおいて近代的かつ創造的な職人たちが現れたことで、大きな流れとなりました。現代で良く知られている絵画調絨毯の図案には、様々な図像から採られた多くの要素が含まれています。このような種類の絨毯は今日、主題、大きさ、豊富な色彩、価格、用途の点から、多くの長所やバリエーションが盛り込まれ、高価で貴重な「絵画調手織り絨毯」として需要を増加させつつあります。