11月 09, 2023 22:43 Asia/Tokyo
  • シオニスト政権イスラエルによる爆弾投下量
    シオニスト政権イスラエルによる爆弾投下量

先月28日、駐日パレスチナ常駐総代表部がSNS上にシオニスト政権イスラエルによる爆弾投下量を広島に投下された原爆と比較する投稿を行ったところ、「広島を利用するな」などといった批判が相次ぎました。そこから見えてきた戦後日本の自意識について考えてみます。

シオニスト政権イスラエルによるガザ攻撃開始から3週間が経った先月28日、日本における大使館に相当する駐日パレスチナ常駐総代表部はX(旧ツイッター)に以下のようなポストを投稿しました。

 

広島に落とされた原子爆弾リトルボーイは、火薬を使った爆弾16,000トン相当の爆発を起こしました。ここ3週間のイスラエル軍によるガザへの空爆は12,000トンを超えています。そして通信を完全に遮断し、暗闇の中で民間人を殺戮し続けています。戦争犯罪、ジェノサイド、民族浄化

 

この投稿は11月9日時点でおよそ1398万回閲覧され、駐日パレスチナ常駐総代表部の投稿の中でも群を抜いています。

しかし、この投稿には日本人ユーザーからの批判が多く寄せられました。その批判は、「原爆と一緒にするな」「広島を政治利用するな」といった趣旨のものでした。

批判は一般ユーザーにとどまらず、国際政治学者の東野篤子氏が「日本人には想像も付かない気軽さで原爆を引き合いに出してくる」とコメントしたほか、国立民族学博物館のパレスチナ研究者である菅瀬晶子氏は、かつて日本に招いたパレスチナ研修員が原爆の被害よりパレスチナの被害の方が大きいと主張したという個人的体験を引き合いに出し、「このような主張をすれば、パレスチナに手を差し伸べようと思う者は減るばかりですよ」とあたかも研修員の発言がパレスチナの総意であるかのような指摘を展開しました。

これらの批判に見え隠れするのは、「原爆は他のいかなる戦争被害よりもひどいはずだ」「原爆の被害を軽々に語るべきではない」といった自意識です。こうした自意識は、「被爆ナショナリズム」という概念としてかねてから指摘されてきました。

ジャーナリズムを専門とする日本大学法学部の米倉律教授は、昨年の同大学の紀要『政経研究』に掲載された論文「一九九〇年代の広島、長崎における『加害』への問いとジャーナリズム」の中で、「被爆ナショナリズム」について次のように記しています。

「被爆ナショナリズム」とは、日本は「唯一の戦争被爆国」であり、だからこそ日本(民族)には被爆の脅威を世界に発信し、平和建設を訴えていく資格と使命があるとする、ある種の“特権意識”に立った考え方を指す。

 

この論文は90年代にそれぞれ広島・長崎の市長を務めた平岡敬・本島等両氏を取り上げ、早くから被爆ナショナリズムの問題を意識していた両氏の思想的系譜を振り返っています。

この中で紹介されている平岡氏の言葉があります。

 

長い間、「被爆者の感情」ということばで、言論や表現を封じ込めていることが、現在の広島の思想の貧しさにつながり、思想の貧しさが広島の神聖化を促進するという悪循環に陥っている。この思想の貧困と公論の閉塞は、被爆建物と被爆樹木や折りヅルの永久保存といったフェティシズム的傾向をもたらす。千羽鶴に核兵器を廃絶させる力はない。核兵器反対の意思を表すために千羽鶴を折る気持ちは尊いが、その思いを行動に結び付けない限り、核兵器はなくならない。(中略)被爆建物保存や千羽鶴を折ることが自己目的化したとき、ヒロシマは退廃する。

 

平岡氏が指摘した「フェティシズム傾向」は、まさに今年の広島サミットで現実の光景となりました。G7の首脳が、アメリカの原爆投下責任を問うこともなければ、自らの核廃絶も約束せず、ただ犠牲者の冥福を祈り、献花や記帳をしたことは、原爆投下というこれ以上ない政治的出来事から政治性をはく奪し、「平和」という無色透明のイメージ・表象の世界に押しとどめるものでした。特筆すべきは、他のテーマであれば「中身のないパフォーマンス」などと批判されたであろうこうした行動が、成果として少なからぬ数の日本人からも歓迎されたことでした。

しかし、それは何も最近始まった現象ではなく、むしろ戦後78年一貫して日本がとってきた姿勢でした。

広島の平和記念公園にある原爆死没者慰霊碑には「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」と刻まれています。この碑文は、主語がないとしてしばしば論争の的になってきました。しかし、主語がないからこそ、日本の被害者との事実と加害者としての事実双方に向き合い、それに立脚して行動するという思想を具現化することもできたはずです。

しかし、現実の戦後日本の歩みはそれとは相反するものでした。被爆という経験およびそれを強調した平和運動は、意図したものではないにせよ、日本の加害者としての側面を薄め、アジア諸国に対する戦争責任への意識を希薄化する役割を果たしました。

そして政治の現場もそれを利用し、「平和国家」としての日本のイメージを国際社会とくに西側諸国に与えることに成功します。それにより、日米安保や核の傘といった本来であれば矛盾するはずの政策も易々と実現することになりました。被爆という事実をイメージの世界に押しとどめたことで、日本の政治はフリーハンドを得たのです。

今年の広島サミットの最終日、岸田首相が記者会見を終え会場を後にしようとした際、まだ質問を終えていなかったひとりのフリージャーナリストが「逃げるんですか?」と叫び、被爆国の首脳でありながらG7の核抑止力を認める声明をまとめたことについて問いただしました。

この記者の行動に対して、「厳粛な場にふさわしくない」などといった批判が巻き起こりました。それはまさに、イメージの中の広島が壊されることへの拒否反応でした。イメージがその殻を破って現実の政治課題に言及しようとするとき、それまでイメージを利用してきた者たちは反発せずにはいられないのです。なぜなら、その途端に戦後78年にわたって放置してきた問題に直面せざるを得なくなるからです。

パレスチナ代表部の投稿に寄せられた批判も、こうした心理に起因していると言うことができます。他の戦争被害との比較も許せないほど原爆が重要だと言うのなら、なぜ日本政府は被爆者補償を長年にわたって拒んできたのか、なぜ日本人以外の被爆者の存在が忘れられているのか、なぜ米国の核の傘に入っているのか、なぜ密約を結んで沖縄への核持ち込みを認めたのか、そしてなぜこうした問題が現在まで続いているのか、正面から答えるべきです。

そうした自らへの問いは避け続け、他者による言及は許さないという姿勢は、戦後長きにわたって温室の中で育てられてきた「被爆ナショナリズム」という甘えに他なりません。

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