日本人研究者、「普天間返還交渉は基地強化が重視された」
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日本人研究者、「普天間返還交渉は基地強化が重視された」
1996年4月12日の米軍普天間飛行場返還合意が目前だった同年3月19日付の米外交文書で、当時のモンデール駐日大使が返還に消極的な姿勢を示していたことが分かりました。
沖縄タイムスによりますと、日米交渉を研究する琉球大学の山本章子准教授は「米側で返還交渉を主導したのが国務省ではなく、国防総省だった説が有力になった」と指摘し、。その結果、「沖縄の基地負担軽減という政治的配慮より、軍事的合理性が優先されたのではないか」とみています。
在沖米軍11施設の返還などを明記した96年12月2日の日米特別行動委員会(SACO)最終報告から25年がたちますが、「5~7年以内」と明示した普天間返還は実現していません。
在日米大使館から国務長官に宛てた文書では「(4月に)クリントン大統領が訪日しても、普天間の地位が劇的に変わる可能性は少ない」とするモンデール氏らの見解を伝えています。
モンデール氏は96年4月12日、橋本龍太郎首相(当時)と並び、普天間返還合意を発表した象徴的な人物で、同年3月に中国が台湾近海にミサイルを発射し、米軍が空母を急行させたことで緊張が高まり、米国家安全保障会議(NSC)は普天間返還の決定を延期するよう主張していました。
山本氏は、モンデール氏を含む国務省側は「普天間返還は抑止力低下という間違ったシグナルになる」と消極姿勢に転じ、逆に国防総省側は「返還合意を延期すれば、日本側に不信感を与え、日米同盟を根本から揺さぶる」と返還の方向性を堅持したと推察しています。
そして、結果的に、国防総省の意見が受け入れられる形で返還に合意し、その後の具体的な返還方法などを示したSACO最終報告までの過程で「沖縄の基地負担軽減より、返還後の基地機能の維持・強化が重要な論点になっていった」と分析しました。
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