重信房子氏はパレスチナ支持者だったのか、それとも・・・?重信房子氏が刑期満了で釈放、パレスチナ活動家からも喜びの声
パレスチナの理念を支持して現地でパレスチナ活動家らと共闘した日本人女性・重信房子氏(76)が、20年間の懲役の後に釈放されました。
日本の極左系国際武装組織である日本赤軍の創設者の1人で、パレスチナ支持者でもある重信氏は28日土曜、20年間の刑期満了に伴い出所、都内で家族や支持者、報道陣らの出迎えを受け、この中で収監からの20年ぶりの釈放に喜びを表していました。
重信氏の釈放については、かつて活動を共にしたPFLPパレスチナ解放人民戦線幹部のライラ・ハリド氏も祝福を贈っています。
重信氏は1970、80年代に被占領地パレスチナの理念を支持する活動も含め、各国でゲリラ作戦を行いました。彼女のそうした理念の1つは日本の帝国主義の崩壊でした。
1971年にはレバノンに渡航し、同国首都ベイルートにて日本赤軍を創設し、1人のパレスチナ人戦士と結婚し、シオニスト政権イスラエルの強硬な敵となっています。
多くの国から日本赤軍がテロ組織とみなされる理由となったその重要な活動の1つは、1972年5月30日にシオニスト政権イスラエルの占領地テルアビブで発生したロッド国際空港(現在のベン・グリオン国際空港)攻撃、別名・ロッド空港乱射事件、またはリッダ闘争です。この事件では銃撃により26人が死亡、ほか71人が負傷しました。
このイスラエル空港への攻撃で負傷、逮捕され、無期懲役刑となっている日本赤軍のメンバーの1人、岡本 公三氏は、最終的に13年後の1985年にイスラエル・パレスチナ間の軍事捕虜交換により釈放されています。
日本赤軍はさらに、1975年の在マレーシア・アメリカ領事館占拠事件に対する犯行声明を出しています。
この組織は、1988年のイタリア・ナポリにある米軍事期間への攻撃後は大きなテロを行わず、その後次第に国際舞台から姿を消しています。
重信氏は最終的に西暦2000年に大阪府で逮捕され、オランダ・ハーグにあるフランス大使館立てこもり・人質事件への関与を理由に懲役20年の実刑判決を受けました。
なお、2001年には獄中で日本赤軍の解散を正式に宣言しています。

