順境・逆境を問わず神を求めよ:人生における祈祷の位置づけ
(last modified Mon, 17 Jun 2024 09:46:39 GMT )
6月 17, 2024 18:46 Asia/Tokyo
  • 順境・逆境を問わず神を求めよ:人生における祈祷の位置づけ
    順境・逆境を問わず神を求めよ:人生における祈祷の位置づけ

ある研究者の話によると、人間は自分が何かしらの害悪を被った際には、神だけが物事の決定者であることに気づき、神に助けを求めるものの、順境にあって恵まれている状態においては、神以外の事物にも役割があると思い込み、あらゆる事象の関係や創造世界の管理が神の手だけに握られていることを忘れてしまうといいます。

【ParsToday宗教】神と対話することは逆境にある時のためのみならず、順境にある時のためでもあります。祈ることはイスラムとその聖典コーランの思想において非常に重要です。祈祷の位置づけ、及びそれが魂や精神に与える影響の調査・知見として、イラン・イスラム文化思想研究所の学術委員モハンマド・アーベディー博士はメフル通信社のインタビューで次のように語りました。

人間はその構造上、個人・社会的生活において、孤独な時や何かに行き詰まった時には、無意識に神の方を向いて神を呼ぶように想像されている。つまり、祈りや祈祷は全人類に共通する自然な特徴なのである。もちろん、この共通認識は、世界の諸問題や事物を原因とした人間の人格の表層にはあまり現れないかもしれない。しかし、ひとたび何かが起こり、富や権力、欲望、名声、地位などでは人を救えないとなると、塵あくたは脇に追いやられ、人は再び神に気づき、神にすがるのである。

コーランの聖句はすべての人間の感覚が90分サイクルであることに触れ、90分間においても神を思い起こすことで生死の成り行きを管理・対処し、普段の日常の中で神を忘れず、個人、社会、政治・経済、文化、家族面での命令に対し逆らわないような方向に人間を導いている。

イラン・イスラム文化思想研究所の学術委員モハンマド・アーベディー博士

人は何かの害悪を受け傷ついたとき、神だけが決定的な存在であることに気づき、神に助けを求めることを思い起こすが、順境にあるときには神以外の事物にも役割を見出してしまい、創造世界の全ての事象や事物が神の手だけに握られていることを忘れてしまう。それは、コーランの聖句に「人間は何かから被害を受けたときには創造主の名を呼び神に立ち返る。しかし、ひとたび神から恵みが与えられると。以前は神の名を口にしていた理由を忘れ、神の代わりに別の存在を見出してしまう」と述べられている通りである。

ここで、いくつかの例を挙げておく。一つ目の例は、船に乗って海を見た時である。誰もが初めて見たときに、必ず自分の小ささや無力さを悟る場所の一つは海である。神はこの人間の経験を利用して、祈ることがすべての人間の本性であることを悟らせている。だが、単に危険に遭遇している時だけにこの手段を使うのではなく、いつ何時にあっても神の存在に気づき、神の御心に従って生活する方が良いのである。いずれにせよ、これに基づき、神は「彼らは船に乗り込むと、心から神を呼び求める(そして神以外の他のことは全て忘れ去る)。しかし、神が彼らを陸に揚げて救ったとき、彼らは再び多神教徒になるのである」と述べている。

聖典コーランはまたこの瞬間に、人間が神に呼びかければ答えを聞くだろうと強調している。つまり、「そのお方は悩める者の祈りに応え、悩みを取り除く者である」と述べている。

これは、我々全員が特にモスクのほか、テキエと呼ばれる宗教施設などで、何百回も神に唱えてきた聖句である。おそらく読者諸氏はこの聖句が骨の髄まで病巣が広がっている病人のほか、困難に直面している人のためのものだというのを聞いたことがあると思われる。そしてこれは、たとえ誰か、ある組織や国、権力が個人、政治、経済、科学、経済といった人生というゲーム全体を知らなかったとしても、90分目に神を悟ったとしても、神はそれでも彼を放置しないことを意味する。これはまさに慈悲、哀れみ、優しさの真骨頂であるとともに、最後の瞬間でも神に回帰したいと願う存在の審判者であり、その存在は人類とともにあり、人間を決して放っておくことはないと約束している。

これまでに述べられたコーランの聖句の全てにおいて、1つの重要な点が存在する。それは、神は1つしかない唯一の存在だということである。これにより、神の意志と律法に従ってのみ生きるべきであるという直観と理解に達する。つまり、神が何度も強調しているのは、「すべては私の手中にあり、私の許可なく葉一枚も地面に落ちないことに諸君は注意を払い、これを信じるべきである」ということである。「そしてもしあなたが他人の手中に力と衝撃を見たとしても、それは私の許可によるものであり、私が望まなければ火も海も燃える力を失い、海洋は流れる力も何かを溺れさせる力すら持たず、人間の美機など使用不可能であり、聖なる神の預言者である汝でさえも、神たる私の許可によって矢を放つということを認識し、肝に銘じておくべきだ。だから、人生行路や生活様式、経済、夫婦間の問題や政治問題のいずれにおいても、とにかく我の命だけに耳を傾けよ。私以外の者が独自に、私の許可なく汝に何かをできるなどとは思うなかれ。この段階に達したなら、つまりあなた自身は逆境に置かれているとき、即ち神なる私以外に逃げ場が見つからないことを意味し、あなたは神の命に従うことの模範となるであろう」

 


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