パレスチナ占領に向け”鉄の壁”理論を提唱したシオニスト指導者、ジャボチンスキー
シオニストらにとり最初の指導者であったゼエヴ・ジャボチンスキーは、「パレスチナ人は、進んで自己決定権を放棄することはない」と語っていました。
ゼエヴ・ジャボチンスキーは、第一次世界大戦中にイギリス陸軍の一隊として参戦したユダヤ人部隊の創設者の一人として、シオニスト政権イスラエルの歴史に非常に影響を与えた人物です。ジャボチンスキーは、イギリス政府がシオニズム支持を表明した1917年の「バルフォア宣言」の際、同政府の説得で非常に重要な役割を果たしました。パレスチナにおけるユダヤ人の居住地建設は、この宣言によって、当時パレスチナを委任統治下に置いていたイギリスに受け入れらることとなりました。ジャボチンスキーは、ユダヤ人の土地がヨルダン川の両岸にまたがることを望み、ヨーロッパおよび他の地域の国々からユダヤ人を移住させることで、居住地建設が実現できると考えていました。
ジャボチンスキーはさらに、別の非常に重要な影響もシオニスト政権イスラエルに与えました。それは、「鉄の壁」と呼ばれる安全保障上の理論の提示と、同政権における同理論に基づいた政策策定でした。ジャボチンスキーは基本的に、パレスチナ人が自身の歴史的国土におけるユダヤ人国家建設には同意することがなく、その実現は、シオニズム運動が世界大国と連帯してその支援を受けることができた場合にのみ遂げられると考えていました。
ジャボチンスキーは、パレスチナ人が自決権を進んで放棄することはないと認めた、最初のシオニスト指導者でした。ジャボチンスキーの考えは、パレスチナのアラブ人社会は何らかの経済的報酬と引き換えにして、ユダヤ人がパレスチナ領土において別の国家を建設しユダヤ人口を徐々に増加させ同地の多数派になることを許しはしない、というものでした。
ジャボチンスキーは、アラブ人社会によるシオニズムの許容および、問題の伴わないパレスチナ領土内のユダヤ人居住は、幻想にすぎないと考えていました。また、パレスチナ住民について、敬意を持って扱われると約束されたにもかかわらずユダヤ人から解放される希望を持ち続けていると、はっきりと述べてもいました。
自身の生がある者が、このような重要な事柄について交渉に応じたり、他者であるユダヤ人にそのような大きな特権を与えるのは、不可能なことだと言えます。ジャボチンスキーが、パレスチナ領土でのシオニズム計画実施の初期段階ですでに、パレスチナ住民を納得させるための対話は何も進展させないと結論付けていたのは、このような理由によります。
そして、ジャボチンスキーはそのためにこそ、シオニズム計画には安全の確保が必要であり、パレスチナのアラブ人社会がその進展を阻んだり台無しにすることができないよう「鉄の壁」を盾にして推進すべきだ、と提案したのです。
この記事は、ハムミーハン紙に2024年に掲載されたヒラール・ハシャーン(Hilal Khashan)氏の寄稿「イスラエルの”鉄の壁”理論に入った亀裂(Shekaf dar Doktrin-e Divar-e Ahanin-e Esrail)」を要約したものです。