40年ぶりに釈放された2人の偉大なパレスチナ人戦士:ムハンマド・アル・トゥース氏とラエド・アル・サアディ氏とは?
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右:ムハンマド・アル・トゥース 氏- 左:ラエド・アル・サアディ氏
ハマスとイスラエルの停戦合意の枠組みで25日、両者間で第2回目の捕虜交換が行われました。今回は、イスラエル兵4人と引き換えに、パレスチナ人拘束者200人がイスラエルの刑務所から釈放されました。
【ParsToday西アジア】イスラエル紙イディオト・アハロノトは、この捕虜交換について「200人のパレスチナ人捕虜が25日、イスラエルの刑務所から釈放された。そのうち121人は終身刑、79人が長期刑を宣告されていた」と報じています。同紙によれば、これらの囚人のうち70人がエジプトに移送された他、残りの114人はヨルダン川西岸へ、16人はガザ地区へ向かいました。
この記事では、今回の捕虜交換で釈放された最も著名なパレスチナ人捕虜2名を紹介していきます。
ムハンマド・アル・トゥース氏について
最古参のパレスチナ人捕虜モハンマド・アル・トゥース氏は、パレスチナ抵抗勢力とシオニスト政権の間の捕虜交換協定の一環として、40年間の抑留の後に25日、イスラエルの刑務所から釈放されました。ヨルダン川西岸ベツレヘム出身の彼は、1985年にシオニスト兵士による襲撃の際に逮捕されて以来、イスラエル軍に拘束されていました。以後40年間をイスラエルの刑務所で過ごし、抑留期間が最も長い最古参のパレスチナ人捕虜という称号がつきました。
ラエド・アル・サアディ氏について
ヨルダン川西岸ジェニンの最古参捕虜として知られるラエド・アル・サアディ氏は、36年間の抑留生活を経て25日にイスラエルの刑務所から釈放されました。アル・サアディ氏は第一次パレスチナ・インティファーダの間戦士だったために、2年間にわたりイスラエル治安部隊に追われていました。シオニストは同氏に圧力をかけるため、彼の父親を逮捕し、その家族らが住む住居を数十回にわたり襲撃し、彼はついに1989年8月に家族を訪問中に逮捕されました。アル・サアディ氏はイスラエル政権の見せかけの裁判で終身刑2回と懲役20年の判決を受けており、拘留中に両親、兄弟、を失いました。イスラエルの刑務所での継続的な拷問と複数の刑務所への移管により、彼は慢性疾患を患い、拘留中に数回の手術を受けています。
イスラエル紙イスラエル・ハヨムはこの件に関する報道で、イスラエルが止むなく釈放した200人のパレスチナ人のほとんどが中核かつ主力の戦闘員とみなされていたことを認めました。
今月19日に発効したガザ停戦合意には、イスラエルの刑務所に収監されているパレスチナ人捕虜の釈放と引き換えにガザのイスラエル人捕虜を釈放するという合意が含まれています。
合意の第一段階は3つの部分で構成されており、それぞれ42日間続き、ガザで生死を問わず拘束されているイスラエル人33人を段階的に解放する代わりに、推定1700人から2000人のパレスチナ人捕虜を解放することで合意されています。
合意の初日に行われた最初の交換では、イスラエル人女性捕虜3名がパレスチナ人の子供と女性捕虜90名と交換されました。
パレスチナ・イスラム抵抗運動ハマスが力を顕示し、西側のメディアやSNSでパレスチナ抵抗勢力の能力の認識がトレンド、トップニュースとして報じられる一方、2023年10月7日に抵抗勢力の恐ろしい打撃に関する新しいドキュメンタリーが公開されたことで、メディア報道環境の風向きはハマスと抵抗勢力に有利に変化しています。
カタール国営衛星通信アルジャジーラは24日、「隠されたものは偉大なり」という番組を放送し、2023年10月7日の「アクサ―の嵐」作戦の秘密と詳細、特に殉教したヤヒヤ・アル・シンワル・ハマス政治局長の直接参加を明らかにしました。故シンワル氏も前出のムハンマド・アル・トゥース氏やラエド・アル・サアディ氏と同様に、イスラエルから終身刑を宣告された人物です。
故シンワル氏は1989年にイスラエルにより終身刑4回を宣告され、22年間を獄中で過ごしました。彼は、2011年にイスラエル兵ギラッド・シャリートとの捕虜交換協定により釈放された1027人のうちの1人でした。