占領前のパレスチナは「無主の土地」だったのか?
(last modified Tue, 03 Jun 2025 10:40:04 GMT )
6月 03, 2025 19:40 Asia/Tokyo
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    占領前のパレスチナは「無主の土地」だったのか?

歴史に関するナラティブは、常に大衆の意識を形成し、政治的な行動に正当性を与える上で決定的な役割を果たしてきました。その中で最も議論を呼ぶナラティブの一つが、イスラエルとその支援者がパレスチナの土地について示してきたイメージです。この歪められたイメージでは、パレスチナは「無主の土地」「住人のいない土地」「使い道のない土地」として紹介されています。すなわち、シオニストが入植するまで、歴史、文化、そして人々など何も存在していなかったとされているのです。しかし、本当にそうだったのでしょうか?

【ParsToday西アジア】「空っぽの土地」という神話は、シオニストがパレスチナの占領を正当化するためのプロパガンダの支柱の一つです。イスラエル外務省が主張する「パレスチナは1800年までは、砂漠で荒れ果てた土地だった」という説は、全く根拠がなく誤った情報です。研究によれば、当時のパレスチナは、地中海沿岸の活気ある発展した社会であったことが分かっています。農地、貿易港、内陸部とエルサレムやベツレヘムなどの歴史的都市をつなぐ道路網が、この地域の社会的・経済的な発展を示す証拠です。

実際、「空っぽの土地」という神話は、歴史的、考古学的、文化的、人口的証拠と明らかに矛盾しています。パレスチナの歴史を調べると、この土地は単なる荒れ果てた砂漠ではなく、活気ある、人口密度の高い、そして明確な歴史的・政治的アイデンティティを持つ地域であったことが分かります。イスラエルの公式なナラティブは、この事実を意図的に無視しているのです。イスラエルとその支持者が広めているよく知られた言説では、シオニズムの到来以前のパレスチナは、空っぽの砂漠で、住民のいない土地だったとされています。この神話は、今日でもイスラエルの教科書や公式メディアで教えられ、繰り返し語られています。このナラティブは、イスラエルの建国とパレスチナの占領を正当化するためのイデオロギー的基盤として使用されています。しかし、歴史的データ、考古学的証拠、そして現地および国際的な文書は、この偽りのイメージと真っ向から対立しています。

「パレスチナ」という名前は、古代ローマ帝国の時代から歴史的な資料に登場しています。この名前は後に東ローマ帝国(ビザンツ帝国)時代でも使われていました。この時期のパレスチナの先住民は、大帝国の一部として暮らしていました。7世紀にイスラムが登場すると、パレスチナはイスラム教徒にとって重要な土地として認識されるようになりました。ここには、イスラム教の最初の聖地であり、第三の聖地であるアクサー・モスクが存在していたためです。その後、パレスチナは何世代にもわたり、アラブ世界およびイスラム世界の一部であり続けました。十字軍戦争の時期に一時的にキリスト教徒の手に渡ったことがあっても、この土地は依然として宗教的・政治的な帝国の中心として注目されていました。

16世紀から第一次世界大戦終了まで、パレスチナはオスマン帝国の支配下にありました。この時期は現代のパレスチナ社会の形成において重要な役割を果たしました。オスマン帝国がこの地に入ると、彼らは主に農業に従事しているアラブ系ムスリムの村落社会と出会いました。当時の人口の約5%はユダヤ人であり、少数のキリスト教徒がその中に住んでいました。イスラエルの公式なプロパガンダとは異なり、当時のユダヤ人は少数派であり、その多くはシオニズム運動に反対していたのです。

文化的には、パレスチナの人々は独自のアイデンティティを持っていました。彼らは特有のアラビア語を話し、地域の伝統と習慣を守っており、世界地図や公式文書には「パレスチナ」という土地の住民として記されていました。シオニズム運動が公式に現れる前から、パレスチナのエリート層の間では土地への帰属意識やナショナリズム、そして独立への願望が急速に広まっていました。アラブ民族主義は、同時期に中東の他の地域でも形成され、パレスチナにも影響を与えました。これらの思想は、一部はアメリカの宣教師によって伝えられ、すぐにアラブの知識人によって独立した思想運動として強化されました。

ムスリムとキリスト教徒のナショナリストグループは、すぐにパレスチナで結成され、オスマン帝国からの自立を求めました。一部のユダヤ人もこの運動に参加していました。オスマン帝国の崩壊直前、パレスチナは近代国家として定義される道を歩み始めていました。20世紀初頭の新聞「パレスチナ」は、この新しいアイデンティティの反映でした。

しかし、第一次世界大戦の終了と共に、イギリスのパレスチナへの委任統治が始まり、ヨーロッパや他の地域からのユダヤ人移民が促進されることとなり、この土地の歴史的なバランスは大きく崩れました。イギリスの政治的合意は、パレスチナが誰のものなのかを明確に示しませんでした。現地のアラブ人住民なのか、それともユダヤ人移民なのか、曖昧なままでした。この不確かさが、シオニストによるパレスチナの土地の段階的占領の原因となりました。また、新たに定められた国境線は、シオニストたちが「イスラエルの土地」をユダヤ人のための合法的な土地として描くのに役立ちました。

イスラエルの歴史家イラン・パペ氏は『イスラエルに関する十の神話』という著書の中で、シオニズムが虚偽の物語を作り上げ、パレスチナとその人々のアイデンティティを無視しようとしたことを示しています。

実際、シオニズムが登場する前のパレスチナは、空っぽどころか、活気に満ちた緑豊かで人口の多い土地であり、歴史的アイデンティティを持つ地域であり、その自然な独立と発展の過程はシオニズムのプロジェクトによって断絶され、その結果、何世代にもわたりこの土地で暮らしてきた人々にとって歴史的な惨事となったのです。

 


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