英、第2次世界大戦時に日・イ関係を破壊
4月 09, 2024 14:52 Asia/Tokyo
イランと日本の関係の断絶という第二次世界大戦時の出来事には、イギリス政府および同国の在イラン大使館が大きく関わっていました。
イランは、1941年にイギリスと当時のソビエト連邦による同国への侵攻作戦の後、主に政府にかけられた圧力のため、翌1942年に自国の駐日本大使を本国に召還し、日本との国交が断絶しました。
イギリスは当時、在イラン日本大使館の活動が自国の利益を脅かすものになると危惧していました。
イランは、日本政府と修好条約を結んでいたことから、二国関係の継続を強調しましたが、イギリスは、イランに日本政府関係者が駐在し続ければ地域や連合国の安全・秩序が乱されると考えていました。
第2次世界大戦で日本が敗北した後、イランは日本と敵対した多くの諸国とともにサンフランシスコ講和会議に参加し、1951年9月8日に連合国の一員として、日本との平和条約に署名しました。両国は同年、9年ぶりにそれぞれの大使館を再開させた後、1953年11月1日にイランの外務大臣と日本の臨時代理公使が外交関係再開に関する公文書を交換し、公式な外交関係を復活させました。
イランは日本との平和条約に署名後、自国石油産業のイギリス独占に対抗しその国有化を進めたためにイギリスとアメリカから石油禁輸措置を取られましたが、そのような中で日本は唯一、イランの石油を購入すべくタンカーを派遣しました。
このような過去の良い出来事を、イラン人は今なお忘れておらず、イランと日本の政治関係はこの時より、日々拡大しています。