4月 27, 2024 19:27 Asia/Tokyo
  • インド国民への賠償義務負うイギリス:40年間で1億人のインド人を殺害
    インド国民への賠償義務負うイギリス:40年間で1億人のインド人を殺害

1880年から1920年にかけてイギリスのインド植民地政策により、旧ソ連、毛沢東政権下の中国、北朝鮮での飢餓を合わせたよりも多くの人命が奪われました。

スペイン・バルセロナ自治大学環境科学技術研究所のジェイソン・ヒッケル教授と豪シドニー大学政治経済学部修士課程のディラン・サリバン氏の研究によると、1880年から1920年の間に少なくとも1億人のインド人がイギリスの植民地政策の犠牲となったことが明らかになりました。

イギリスの植民地主義は16世紀末、即ち1599年の東インド会社設立から始まりました。

東インド会社は南アジアの肥沃な地域に対する英国の植民地支配の基礎を強化し、それ以来、英国の植民地経営と南アジア諸国との覇権主義的な関係はすべて、東インド会社を通じて行われるようになりました。

 

英植民地主義時代のあるインド人家族

 

この会社の設立から3世紀後、インドに対するイギリスの強い影響力と覇権により、インドは大英帝国の一部として宣言され、ヴィクトリア英女王はインドとイギリス帝国の女王として戴冠しました。この時代は、経済関係、貿易、通商を装って、この地における政治的影響力の下地となったイギリスによるインド国民の略奪の時代と考えられています。

経済史家のロバート・C・アレン氏は、イギリス統治下のインドの絶対貧困率は1810年の23%から、20世紀半ばまでに50%以上に上昇したとしています。

この期間にインドの労働者の賃金は急激に低下し、19世紀にはほぼゼロに達しました。こうした中で、インド国民は飢餓に苦しんでいました。

公式統計によると、インドにおけるイギリスの植民地主義の影響で、同国の平均寿命は21.9歳にまで低下しました。

この植民地主義こそは、一部のイギリス人の意見によれば、インドの体制に今なお根強く残っているものです。

英国の調査会社YouGovによると、英国人の32%が今なお自国の植民地時代の歴史を自ら進んで誇りに感じているということです。

イギリスの歴史家スチュアート・レイコック氏は、2年間の研究とその成果である『攻撃されたすべての国』という著作において、「世界には約200カ国あるが、そのうちイギリスに侵略されていない国は22カ国だけである」と述べています。

しかし、こうした侵略についてイギリスは謝罪するつもりも、賠償金を支払うつもりもありません。

歴史を変えたり、大英帝国の犯罪を消したりすることはできません。しかし、賠償は、植民地主義が生み出した剥奪と不平等という負の遺産への対処における助けとなります。

その例として、かつての南アフリカは人種差別・アパルトヘイトの教訓として、同国の白人少数派政府によって暗殺された人々に賠償金を支払ったことが挙げられます。

ドイツも最近、1900年代初頭に西アフリカ・ナミビアで起こした犯罪に対して賠償金を支払うことに同意しました。

 

 


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