日章丸の栄光:イランと日本の反植民地主義による絆の物語
(last modified Tue, 27 Aug 2024 05:13:48 GMT )
8月 27, 2024 14:13 Asia/Tokyo
  • 日章丸の栄光:イランと日本の反植民地主義による絆の物語
    日章丸の栄光:イランと日本の反植民地主義による絆の物語

イランの石油産業が国有化された後、イギリスは、イランから石油を輸入する国をすべて自国の対抗措置の対象とする旨を、公式に発表しました。しかし日本は、このような西側の覇権主義的意見には屈しませんでした。

西アジアと東アジアの重要国であるイランと日本は、これまで1500年以上にわたり常に友好関係を保ってきました。

歴史学者などの研究によれば、イランと日本の関係はシルクロードを通じた交易が盛んだったサーサーン朝との時代にまで遡れるということからも、日本は総じて、イランと友好関係を持つ国々の上位に位置してきました。

パールストゥデイのこの記事では、イラン石油国有化運動の時期に起き、二国の関係の転換点のひとつとなった「日章丸事件」について取り上げていきます。

 

日本および同国の石油産業は第二次世界大戦後、アメリカとその同盟国の攻撃により受けた痛手から立ち直ろうとする中で、石油を購入できる信頼に足るパートナーを求めていました。イランはちょうどその時期、石油産業を国有化しましたが、イギリスとアメリカの政府はこれを受けて、イラン石油の販売を制限するという違法な行為を企てました。

特にイギリスは、イランの石油産業国有化後、イランから石油購入する国をすべて自国の対抗措置の対象とする旨を、公式に発表しました。この行動は、イランの石油の販売を阻んで同国の経済を破綻させることを目的としており、近代史における最初の対イラン経済制裁とされています。

一方、日本企業の出光興産は、自国の石油・精製産業の復興を目指す中、イランの政府・国民が植民地主義に勇敢に対峙していることを知り、前述の禁輸措置を顧みずにイランから直接石油を購入することを決めました。

出光興産の出光佐三社長は、当時のイランのモサッデク政権と交渉を行うため、まず弟で同社専務の計助氏を、記者の肩書で同国に派遣しました。 そして1953年3月23日、同社のタンカー・日章丸が、乗組員55名を乗せて日本の神戸港を出港しました。日章丸の目的地はサウジアラビアとされていましたが、実際に向かったのは、イラン南部のアーバーダーン港でした。

日章丸は、ペルシャ湾にいたイギリス軍の間を掻い潜り、同年4月10日午前1時、暗闇の中でアーバーダーン港第19番埠頭に接岸しました。石油の積み込みはすぐに始められたものの、この作業は約2日かかり、この間に同船の新田辰夫船長は、イラン政府から記念品を贈呈されました。そして4月15日午前、日章丸はアーバーダーン港から出航し、不安と緊張につつまれながら、ペルシャ湾の浅瀬にいるイギリス軍の間を抜けて、5月19日、日本の川崎港にたどり着きました。このようにして、植民地主義の圧政的な制裁は破られたのです。

出光興産は、イギリスが全く介入できないよう、記者会見を開いて違う入港予定地を発表し、陽動情報を流していました。

イギリスはその後、この石油の所有権が自国にあると主張し、出光興産への仮処分申請を東京地裁に提出しました。しかし、二度にわたる口頭弁論の末、出光を支持する判断が下され仮処分申請は却下されました。

当時のイラン政府は、日本企業がとった勇敢な行動に敬意を表し、今回の石油をイラン国民から日本国民への贈り物として、価格を大幅に減額する旨を宣言しました。

日章丸事件として知られるこの出来事は、イラン・日本関係の転換点のひとつとなり、その後何年にもわたり、様々な場面で思い起こされることとなりました。

この出来事はまた、両国の友情の深さや、反植民地主義という繋がりの象徴にもなっています。

日章丸事件は最近の日本でも、この出来事を題材とした百田尚樹氏の小説『海賊と呼ばれた男』が2013年の年間ベストセラーとなり、2016年には同小説を基にして映画『海賊と呼ばれた男』が製作されるなどして、大きな反響を呼びました。

この出来事で興味を引き付ける別の点は、出光興産の出光佐三社長が日章丸の乗組員に宛てた手紙において、「イラン人は勇敢であり、イギリスに対峙している。日章丸は、イランが石油制裁を受けていても同国を助けるべきだ」と記していたことです。

イランの石油産業国有化計画は、石油委員会の提案が1951年3月20日にイラン国会で承認されたことで、正式に実施されました。

国有化実施により政治的な緊張が続いた後、イギリスはイランの石油産業から手を引いたほか、最終的に地域からも段階的に撤退することになりました。

イランの石油産業国有化はさらに、西アジアの政治的発展における歴史的転換点にもなりました。エジプトで1956年に当時のガマール・アブドゥルナーセル大統領​の主導により実現したスエズ運河の国有化は、このイランの石油産業国有化を模範にしたとされています。

 

 


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