資本主義と消費主義の伝搬
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資本主義と消費主義の伝搬
資本主義は大量生産と広範囲な広告を拠り所とし、利益を増やす手段として消費主義を推進してきました。
【ParsToday国際】消費主義と消費社会の出現が、自由主義経済の段階の1つであることは紛れもない事実です。この文脈において、アメリカの経済学者で発展理論の先駆者の一人、ウォルト・ホイットマン・ロストウは「成長理論」を提唱し、発展(彼らの見解では自由化)が伝統社会、過渡期、成長期、成熟期、そして最終的に大量消費期という特定の段階を経ることに依存する、と考えました。
資本主義は大量生産と広範な広告に依存しており、利益を増やす手段として消費主義を助長、奨励してきました。しかし、この傾向は経済成長をもたらした一方で、社会、文化、そして環境にしばしば広範囲にわたる負の影響も及ぼしてきました。消費主義は単なる経済概念ではなく、社会的、文化的、そして心理学的な重みを持つ用語です。
現代世界の支配的な経済システムとしての資本主義は、私的所有、自由競争、そして利潤追求に基づいています。このシステムの主な特徴の一つは、商品とサービスの生産・販売を増やす絶え間ない努力です。この方向で、より大きな利益確保のための重要な手段として消費主義が形成、強化されてきました。消費主義とは、実際には必要がないにもかかわらず、人々により多くの商品購入・消費を奨励することを意味します。この現象は、特に産業革命以降、大量生産の普及とともに激化しました。商品の過剰供給により、製造業者は真のニーズに応えるのではなく、人為的なニーズを作り出し始めたのです。資本家が消費者を刺激するために用いた手段の一部としては大規模な広告、魅力的なデザイン、そして既存製品を意図的に陳腐化することなどが挙げられます。
この傾向の最も顕著な例の一つとして、既存の製品を意図的に陳腐化するという現象です。つまり企業は、短期間で機能や魅力が失われる製品を意図的に生産し、消費者に再購入を強いるのです。この方針は、電子機器、衣料品、自動車など、様々な業界で顕著に見られます。例えば、携帯電話は十分な機能を備えているにもかかわらず、すぐに新型のモデルに置き換えられ、消費者は広告や流行の圧力に押されて新型の機器の購入を促されます。
消費主義は、宣伝・広告とも密接に結びついています。広告は商品の紹介のみならず、消費の増加が成功、繁栄、そして社会的地位の象徴とみなされるようなライフスタイルをも促進します。19世紀末から20世紀初頭にかけてのアメリカの経済・社会学者、ソースティン・ヴェブレン(Thorstein Bunde Veblen)は著書『有閑階級の理論』において、この種の消費を「誇示的消費」と名付けました。それは即ち、真の必要性によらず、社会的地位の誇示を目的とした商品の購入です。このパターンは資本主義社会、特に20世紀と21世紀に急速に広がり、支配的なイデオロギーとなりました。
社会的な観点から見ると、消費主義は不平等をさらに助長し、階級間の障壁を強化してきました。社会的・心理的な側面では、資本主義的な広告は、より多くの消費こそがより高い地位とより好ましい社会階級の象徴であると捉えるように仕向けています。富裕層が贅沢品の消費により自らの地位を固める一方、低所得層は経済的に彼らのモデルを模倣するよう迫られています。この傾向は、階級格差を拡大させるのみならず、社会に不健全な競争文化を生み出すことにもつながります。
さらに環境の観点から見ると、消費主義は環境に深刻な影響を及ぼします。商品の大量生産には天然資源の過剰な搾取が必要であり、環境悪化、大気汚染、水質汚染、ひいては気候変動にもつながります。加えて、使い捨て商品や寿命の短い製品は大量の廃棄物を生み出し、その管理・処理は社会にとって大きな課題となっています。
資本主義や消費主義を批判する人々は、このパターンを自然でも持続可能でもないと考えています。数々の研究によれば、現代の消費主義は経済発展の自然な結果ではなく、広告や文化的圧力による消費者の意志操作の結果と考えられています。そのため、一部の学者は、シンプルな生活や責任ある消費といった代替パターンを推進すべきだと提唱しています。これに関して、イスラム社会では節度の維持および無駄の回避を基盤とした消費パターンも提唱されており、これは資本主義的消費主義の代替となり得ます。
資本主義は消費主義の促進により収益性を確保してきたものの、このプロセスは社会と環境に多大な負担を強いてきました。消費主義は生産・販売の拡大を促したと同時に人々のライフスタイルを変貌させ、社会の価値観にも影響を及ぼしてきました。しかし、反消費主義運動の高まりや代替モデルの提供に向けた取り組みは、社会がこの現象の負の影響に徐々に気づき始め、より持続可能な経済・社会発展の方法を模索し始めていることを物語っていると言えます。

