日本でのイラン書道展
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4月、日本でイランの書道展「マシュク2016展」が開催され、ペルシャ書道家の角田ひさ子さんとその生徒19人よる33作品が展示されました。
(last modified 2025-10-27T05:05:03+00:00 )
6月 13, 2016 21:14 Asia/Tokyo
  • 日本でのイラン書道展

4月、日本でイランの書道展「マシュク2016展」が開催され、ペルシャ書道家の角田ひさ子さんとその生徒19人よる33作品が展示されました。

この書道展は1週間にわたり、東京で開催され、イランの文化や芸術を愛する人々によって大きな歓迎を受けました。

この番組では、イランの書道についてお話しすることにいたしましょう。

 

紀元前550年のアケメネス朝の統治が始まって以来、イランは常に西アジアの影響力ある大きな勢力の表れであり続け、その文化は極東の島々にまで広まっていました。例えば、シルクロードを通じた文化的、経済的交流に関して研究している学者らは、東アジアへのイランの文化的影響を明らかにしています。

 

日本のシルクロード研究者、故樋口隆康(ひぐち・たかやす)氏は、サーサーン朝時代の芸術は、中国の芸術文化に非常に深い影響を及ぼし、日本の古墳時代末期や奈良時代にその影響が見られるとしています。彼は和歌山で発掘した植物のつたで編まれた装飾品について、それを5世紀末のもので、イランの芸術の影響を受けたものだとしています。とはいえ、こうした作品はイランから遠く離れた極東の職人によって多く作られ、寺院や壁画、陶器の模様に見ることができます。

 

日本(にっぽん)財団の笹川会長は、8世紀の日本の古都は、シルクロードの最果てにあり、イランの伝統工芸の貴重な作品が伝わり、それらは1000年以上前に日本に入ってきたものだ、と述べています。このためイランが昔から豊かな文化や芸術を有し、現在もその影響が日本の文化や芸術の中に残っていることがわかります。

 

一方で日本の芸術家がイランの芸術から受けている影響は現在別の側面をとっています。冒頭でお話ししたように、少し前に日本で日本人によるイラン書道の展示会が開かれ、大変な好評を博しました。

 

この書道展で作品を発表した日本のペルシャ書道家、角田ひさ子さんは、イランの書道や文化に親しむことになったきっかけについて、「およそ25年イランの書道に魅せられてきた」とし、「早稲田大学で東洋史を学んでいた際にペルシャ語を第二外国語として選択し、ペルシャ書道に興味を持った。そして中村公則氏のもとでペルシャ語を8年間学んだ。1991年、イランを訪問し、2年10ヶ月イラン書道協会のセハーヴァト氏らに師事した。1994年に日本に戻り、現在までペルシャ語とイランの書道を教えている。2006年から毎年書道展を開催している」と語りました。

 

角田さんは、「1年間、生徒たちは詩人ネザーミーの『レイラとマジュヌーン』に親しみ、別のクラスでも、オマル・ハイヤームの『ルバイヤート』を学んだ。このため、展示会の開催と作品の公開によって、イランの文化を日本人に紹介したいと思った。春に展示会が開催されることから、イランの文化の象徴として、イランのお正月飾りハフトスィーンを飾った」と述べました。

 

角田さんは1957年、鹿児島で生まれ、書道についての論文執筆や講演を行っています。さらにペルシャ語の文献や大衆文学を日本語に翻訳しています。

 

おそらく文字の始まり、書くことが始められたのは自分の考えや経験を他者、そして未来の世代に移転し、伝えるための人間の最初の努力の結果と考えられます。最初自分の考えをどのようにして他人に伝えていいか分からなかった人間は、次第に絵文字をその手段、他者との意見交換の手段として使用しました。その後人間は絵だけでは自分の要求のすべてを実現できないことを気づき、数百年の努力により、文字を発明するに至ったのです。その後、数千年の間に様々な文字が生まれ、それぞれの民族やグループが独自の文字を生み出しました。

 

イランの書道、ホシュネヴィースィーは、美しく書くこと、あるいは美しい創造を伴う記述を意味します。イランの書道では視覚的な経験を理解し楽しむために、文章を書くことに加えて、美学的価値のある芸術作品が作られます。イランの書道は内容を簡潔に書き記したり、文字をデザインしたり、並べたりすることとは異なります。イスラムの書道、イランの書道では、それを構成する外枠と中身の間に驚くべきバランスが見られます。こうしたバランスは外面的な装飾によって、様々な意味を吹き込む上で適切な形を整えることができます。

 

こうした中、イランの書道を過去の古い芸術に制限することはできません。イランの書道は伝統芸術ではありますが、現代も多く行われています。というのも書道への注目の最大の目的は、こうした芸術によって宗教文化を広めることにあり、これは特定の時代には限られないからです。

 

建築のような長い歴史を持った芸術の他、現在、他の芸術においても書道は用いられています。例えば絵画に属する芸術であるグラフィックは、線によって強く結びついています。イランの芸術家の間では、絵や文字によって他者にメッセージを伝えることがここ数年、広く行われています。この芸術においては多様性が生み出されていますが、現代的な方法をとると同時に、書道の伝統芸術の原則もまた遵守されています。

 

書道芸術において最も重要な作業は通常の単語を美しく芸術的であると同時に複雑な方法で書くことであり、それは様々な書法を有しています。イスラム諸国やアジア諸国で数々の筆や文字の書き方が広まっており、書道はこの地域で重要な芸術の一つになっています。

 

書道はイスラムがイランに入った後で現在の形をとり、数百年間、コーランや宗教書、詩集、学術書を書くために用いられていました。のちに書籍の書道のページを装飾するために、絵や彩飾文字が用いられるようになりました。イラン人の書道は、書物や役所の文書の形で残されているものの中に多く見られます。しかしながら、イランの芸術家の真骨頂は、コーランや宗教の偉人たちの伝承、詩人たちの作品の中に現れています。さらにモスクや宗教学校の入り口に掲げられている碑文やモスクの壁、ドーム、壁龕の装飾は、イランの歴史における最も重要な書道の利用となっています。

 

ヨーロッパのある哲学者はイスラムの書道に関して、「イスラム世界で最も高貴な具象芸術は書道であり、イスラム教徒の芸術の趣向を育てる上で書道ほど効果的なものはない」という結論に達しています。

 

歴史的な経験と専門家の研究から明らかにされていることは、書道は神の言葉を美しい目に見えるフォームで提示することができるものです。このためイスラム教徒の書道は、他の文化の書道とは内容的に異なっています。イスラム教徒の書道は単なる技術や装飾ではなく、その行動は信条的なものであり、信仰の側面をとっています。言い換えれば書家にとっての文字は、より優れた芸術として、美しい形を伴う崇高な内容を提示しており、見るものを精神世界へと導くものなのです。