イランのスィーモルグをめぐるアゼルバイジャンの主張
(last modified Sat, 24 Jun 2017 07:09:21 GMT )
6月 24, 2017 16:09 Asia/Tokyo
  • イランのスィーモルグをめぐるアゼルバイジャンの主張

最近、アゼルバイジャン共和国の新聞イェニ・アゼルバイジャンの編集長を務めるヒクマト・ババオグル氏が、イランの伝説上の鳥とされるスィーモルグを、アゼルバイジャン共和国の伝説上の思想から生まれたものとし、これを同国の哲学的、国民的な思想の一部として紹介しました。

今回は、イランの隣国アゼルバイジャンのコラムニストによるこの主張を検討することにいたしましょう。

 

時は神話の時代、舞台はイランの英雄ナリーマーンの息子サームの宮殿です。イランの英雄サームには子どもがなく、このことはイランの英雄にとって大きな痛手です。それは、彼が子孫を残し、父親の偉業を継承してゆかなければならないからです。それまでの長い間、子どもの誕生が待ち望まれていました。しかし、長い間待ちに待った後に子どもが生まれたことは、イランの英雄の人生における困難の始まりでもありました。ザールが生まれてから1週間が経ちましたが、誰もこのことをその父親のサームに伝える勇気がありません。乳母が勇気を出して、言葉巧みにこのことをサームに伝えます。サームにとって、白髪の子どもが生まれてきたことは、不吉のしるしと見なされます。このため、彼は生まれた子どもを人里離れた所に連れ去るよう命じます。こうして、ザールはアルボルズクーという山に連れて行かれます。そこは、非常に遠いところであり、イランの伝説上の鳥スィーモルグの巣があるのみです。スィーモルグは、ザールを自分の巣に連れて行き、彼を自分のひな鳥と共に育てます。そして、ザールを賢者の魂に触れさせ、伝説上ザールに与えられるべきだとされていた全ての能力を授けます。それから長い月日が経ちました。父親のサームは、自分の見た夢の内容に従って、スィーモルグのいるアルボルズクーの山へ、今では立派な若者に成長しているであろう息子のザールを探しにやってきます。スィーモルグは、ザールとの別れ際に自分の一枚の羽を彼に渡し、今後困難に遭遇したときにはこの羽を使うように告げて、彼のもとを去ります。

 

偽りのアイデンティティを獲得するための工作は、このほかにも存在します。ここで、アゼルバイジャン共和国の変遷について、簡単にお話することにいたしましょう。この国とその国民は、つい数十年前までは広大なイラン文化圏にあり、イラン領の一部とされていました。しかし、イランとロシアの戦争の結果、イランにとって屈辱的なゴレスターン条約とトルコマンチャーイ条約により、アゼルバイジャンはロシアに割譲され、その後はソビエト連邦内の共和国の1つとなりました。1991年の旧ソ連の崩壊に伴い、アゼルバイジャンは独立国となりました。

しかし、アゼルバイジャン共和国の独立以来、同国の文化関係の責任者は、この国が成立後間もないにもかかわらず、いかにも数千年の歴史を有するかのような主張を繰り返しています。アゼルバイジャンの文化界の責任者は最近、ユネスコの文化面での怠慢の隙を突いて、イランの伝統的な弦楽器の1つ・タールを、アゼルバイジャンの伝統楽器として登録しようとしました。彼らは、捏造された資料を提示しニュース・メディアの喧騒に乗じて、国家のアイデンティティをも買取り、歴史の浅い国を数千年の文化と歴史を持つ国に作り変えられる、と思い込んでいるのです。

アゼルバイジャンの文化関係者の一部は、長年にわたり同国の人々とイラン人が文化的に近い関係にあることや、アゼルバイジャンが数千年にわたりイラン文化圏にあったことに注目せず、偽りのアイデンティティの獲得に熱を上げています。彼らは、2007年にアゼルバイジャンとイランにまたがるヒールカーニー樹林を、ユネスコ自然遺産に登録申請しましたが、幸いにもこの申請はイランの対応によって取り下げられました。ヒールカーニー樹林は、世界最古の樹林ですが、アゼルバイジャン領内にあるのはその総面積全体のわずか10%であり、90%はイラン領内にあります。

アゼルバイジャンの文化責任者の一部はまた、イランを初めとする複数の国での春の新年ノウルーズの祝祭を、アゼルバイジャンの名でユネスコ無形遺産に登録するために時間を費やしました。彼らはこれまで長期間にわたり、イランの著名な詩人ネザーミーをアゼルバイジャンのものにしようと手を尽くしています。彼らはある時には、この詩人の墓石に刻まれたペルシャ語の碑文を破壊し、また別の折にはネザーミーの祖国や出自に関する捏造された詩文を発表し、それらをネザーミーの作品の一部と見なしているのです。さらには、ネザーミーの彫像を制作し、これをイタリアにある有名な広場に設置し、この詩人をアゼルバイジャンの詩人として紹介し、世界の様々な新聞紙上にも論説を掲載して、歴史を捏造しようとしているのです。そして、数年前にはイランを起源とするスポーツであるポロをアゼルバイジャンのものとしてユネスコに登録しようとしましたが、これは失敗に終わりました。

 

最近、アゼルバイジャン政府の公式筋の1つが、偽りの主張と捏造行為により、スィーモルグと呼ばれるイランの伝説上の鳥を、トルコ世界のシンボルであると表明しました。アゼルバイジャン与党の機関紙イェニ・アゼルバイジャンの編集長も務めるとともに同国の国会議員でもあるヒクマト・ババオグル氏は、スィーモルグに関する論説を発表しています。彼は、先だって同国の首都バクーで開催された第4回イスラム諸国連帯競技会の開会式、及び2015年のバクーにおける第1回ヨーロッパ競技会の閉会式で、次のように主張しています。「スィーモルグの伝説はトルコ世界のものであり、イラン人がこれを盗用したのであって、イランの詩人アッタールの作品『鳥の言葉』も、スィーモルグの盗作である」

 

イラン文化における伝説上の鳥スィーモルグの歴史は、イスラム以前の古代イランにさかのぼります。ゾロアスター教の聖典アヴェスター、そしてイランの古典語パフラヴィー語の文献によれば、スィーモルグは大きな翼を持ち、全ての植物の種をつける癒しの樹木に巣をつくる鳥であることが分かります。研究者らは、この樹木をイスラム文化における天国の樹木に相当するとしています。

このスィーモルグは、イスラム伝来後は英雄伝や神秘主義文学の作品にも頻繁に登場しています。また、今から1000年ほど前の英雄叙事詩人フェルドウスィーの名作「王書」では、スィーモルグは神と悪神アフリーマンという2つの異なった様相を持っています。悪神としてのスィーモルグは、神としてのスィーモルグが持つ神々しさがなく、7段階にわたる難関の5段階目で、英雄エスファンディヤールに殺されます。英雄ザールの誕生により、神としてのスィーモルグが「王書」に登場してきます。

スィーモルグは、『王書』の中の2箇所において、勇者ザールへの重要なアシストを行います。その1つは、英雄ロスタムが出生時に体格が大きかったため難産となった際のことであり、スィーモルグは当意即妙な策を考え出すことで、この問題を解消します。もう1つは、ロスタムとエスファンディヤールという2人の英雄同士の戦いの際のものです。不死身の英雄エスファンディヤールに勝てないロスタムは、スィーモルグに教わった方法で、エスファンディヤールを破ります。さらに、スィーモルグはロスタムの受けた傷をも治すのです。

さらに、スィーモルグはギャルシャースブナーメなどのそのほかのイランの神話や、中世イランの医学者ブー・アリースィーナーの論文、中世イランの神学者ガザーリーの論文、神秘主義詩人アッタールの名著「鳥の言葉」などの数多くの名高い著作における英雄伝から神秘主義、伝説の中で、存在感を放っています。

 

イランの神秘主義詩人アッタールの名著『鳥の言葉』は、スィーモルグの宮殿に到達するため、鳥たちがヤツガシラの案内により、世界を囲んでいると信じられた伝説上の山へ集団で旅をするというストーリーになっています。ここに登場する鳥たちは全て、ある特定の部類の人間たちのシンボルとして描かれています。旅の途中で困難に遭遇するたびに、鳥たちは1匹、また1匹と脱落していきます。そして最終的には、残った30匹の鳥たちが伝説上の山にたどり着きますが、そこで彼らは自分たちこそがペルシャ語で30匹の鳥を意味する伝説上の鳥スィ―モルグだったことに気づくのです。

 

イランの文学や歴史、文明におけるスィーモルグの文化・歴史的な根拠がこれほど多く存在するにもかかわらず、ヒクマト・ババオグル氏はインターネット上に掲載した論説において、スィーモルグの物語をアゼルバイジャンの伝説的な思想の産物として紹介し、これを同国の国民的、哲学的な思想の一部と見なしているのです。

独立してまだ日の浅い国が、古い伝説に基づく世界観や数千年に及ぶ伝説を主張することは、非常に奇妙な行動であり、常識では考えられません。ヒクマト・ババオグル氏が少しでもアゼルバイジャンの歴史的な文献のページをめくっていたならば、もはや他国の歴史や文化を歪曲する必要はなかったはずです。それは、彼が歴史的な資料に立ち返ることで、スィーモルグがイラン文化の全てに広がり、歴史の曙から現代に至るまでのイランの文化や芸術、文学の全ての領域に浸透していることに気づいたはずだからです。