10月 11, 2023 17:26 Asia/Tokyo

10月12日にあたるイラン暦メフル月20日は、14世紀のイランの詩人、ハーフェズの日です。

ハーフェズの霊廟

 

この日に際し、イラン全国の文化・学術センターでは、文学の会合や詩を読む会が開かれています。

 

ハーフェズは、14世紀のイランの著名な詩人です。彼の名は、ハージェ・シャムソディーン・モハンマドとも言われていますが、聖典コーランを暗記していたため、ハーフェズと呼ばれるようになりました。ハーフェズの家族、育ち方や生活については、正確な情報が入っていません。彼が生まれた時期についても、さまざまな説があります。歴史の研究家によれば、彼は1326年、イラン南部のシーラーズで生まれたとされています。

 

ハーフェズの霊廟

 

言い伝えにあるように、ハーフェズは幼い頃に父親を亡くし、その後、母親とともに苦しい生活を強いられました。そのため、時折、勉学の傍らで労働することを余儀なくされていました。ハーフェズ詩集の最初の編纂者であったモハンマド・ゴルアンダームによれば、家族の問題が解消した後、ハーフェズはシーラーズで、当時の文学者やイスラム法学者の学術会合を利用することができるようになったということです。

 

モハンマド・ゴルアンダームは、ハーフェズ詩集の序文で、「ハーフェズは、当時、広まっていたイスラム法学とペルシャ・アラビア文学の2つの分野において研究活動に従事し、コーランを記憶した」としています。

 

ハーフェズの霊廟

 

ハーフェズは、当時の偉大なイスラム法学者のもとで、イスラム哲学に関する書物を読み、この時期に、コーランの解釈を記したようです。現在、この本は残っていません。

当時、シーラーズでは、偉大な哲学者や法学者の会合が盛んに行われていました。ハーフェズも当然、この会合で神秘主義哲学者らと知り合いになり、彼らからさまざまなことを学んでいました。とはいえ、ザッリーンクーブ氏が語っているように、ハーフェズは神秘主義にもならなければ、神秘主義者ともよい関係を築くことはありませんでした。その理由は、当時の神秘主義の状況の中に見出すべきでしょう。多くの研究者によれば、当時の神秘主義は欺瞞だらけであり、本来の道を逸脱していました。

 

研究者や思想家によれば、芸術家の成長と神から与えられた能力の開花には、かずかずの要素が影響を及ぼしています。そのうちのひとつが、社会、政治状況です。ハーフェズもその例外ではありませんでした。

 

ハーフェズの霊廟

 

ハーフェズが生きた時代、つまり14世紀は、イラン各地がモンゴル族の襲撃を受けた時代です。歴史家は、14 世紀を、イランの歴史において、大量殺戮といった点で最も恐ろしく野蛮な時代だったとしています。

 

こうした中、歴史に記録されているように、この攻撃では、イランの一部の地域がさまざまな理由によって攻撃を免れるか、あるいは遅れて攻撃を受けたり、ダメージが少なくて済んだりしました。そのうちの一つが、ファールスです。ファールス地方は、チンギスハンとその後継者の襲撃があった時代、トルクメン系のサルゴリヤン朝に占領されていました。この王朝の王たちは文学や学術を愛しており、この時代、文学者や学者の育成に努め、この地域に数多くの神学校やモスク、学術センターが創設されました。これにより、ファールスは、多くの偉人たちにとって安全な場所となり、サアディやハーフェズといった偉人が誕生することになったのです。

 

ハーフェズの霊廟

 

ハーフェズは、偉大な詩人や神秘主義哲学者、文学者が集まっていた環境の中で、文学や学問に関する教育を受けました。彼は、高い才能と知性により、自身の詩の中で、先人たちの遺産を最高の形で活用しました。

 

イランの現代の文学者で歴史家のザビーホッラー・サファー氏によれば、ハーフェズが先人たちの作品をよく知っていたために、彼の詩は神秘主義的な深い内容とともに、感情的な美しい内容を伴っていました。ハーフェズの言葉には、モウラヴィーヤサアディなどの言葉にあるあらゆる条件が整っています。

 

現代のハーフェズ研究者、バハーロッディーンホッラムシャーヒーは、ハーフェズのスタイルは、千数百年のペルシャ詩の歴史において唯一無二のものだとしています。彼やその他の研究者の研究によれば、ハーフェズが現れるまで、ペルシャ語の抒情詩は、地上の愛する人への思いという一つのテーマによって歌われていました。

 

ハーフェズの霊廟

 

このような詩人に対し、神秘主義的な抒情詩をうたっていたのが、サナーイーやアッタールといった詩人でした。彼らは神との語らいをうたっていました。ハーフェズ以前の詩人の中でも、モウラヴィーは非物質的な愛を、サアディは物質的な愛を歌っています。しかしハーフェズは、この2つのスタイルを融合させ、新たな抒情詩のスタイルを生み出しました。

 

ハーフェズの詩は、多くの研究者によれば、モウラヴィーの神秘主義的な部分、サアディの感情、ハイヤームの哲学的な思想を融合させたものとなっています。しかし、明らかに、ハーフェズの詩はそれだけに限られません。彼は抒情詩の中で、他のどの偉大なペルシャ詩人の詩にも見られなかったようなスタイルを作り出しました。

 

ハーフェズの霊廟

 

ハーフェズの詩には独自の特徴があります。たとえば、政治的、社会的な内容を含んでいること、正直さや寛容さといった道徳を述べていることなどです。これらの特徴は、彼以前には見られなかったものでした。

 

ハーフェズの抒情詩の特徴の中でも、最も重要なのは、抒情詩のそれぞれの句が、内容や意味の点から独立していることです。つまり、ハーフェズの抒情詩では、それぞれの句が、意味の点で他の句とは切り離されています。

 

ハーフェズの霊廟

 

それでは最後に、イランのハーフェズ研究者、バハーロッディーン・ホッラムシャーヒー氏の言葉をご紹介ししましょう。

「イランから生まれ、私たちの心の中に生き続けている芸術家は、ハーフェズである。ハーフェズは、私たちに語りかけているだけでなく、私たちの側からも語りかける。この国民の代弁者であり、世界でも、これほど心の温かく親しみやすい詩人は他にいないだろう」

 

 


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