3月 20, 2023 22:38 Asia/Tokyo
  • イランの春の新年ノウルーズの社会的、歴史的な根幹
    イランの春の新年ノウルーズの社会的、歴史的な根幹

新年の到来と春の始まりは、イランの人々にとって全国的な祝祭と喜びを伴うものです。今年も、新年がスタートし、イラン全国は祝賀のムードに包まれています。

広大な自然においては、恩恵や成就、そして喜びのシンボルが見られます。

春の到来により、人々は自らの生活の中にも瑞々しさや新鮮さを見出します。これら全ての美しさと驚きの到来が喜びをもたらすことから、イランの人々の間ではこれまで長年にわたりノウルーズの祝祭が定着しています。今回は、ノウルーズの祝祭の社会的、歴史的な根幹についてお話することにいたしましょう。

ペルセポリス

 

ノウルーズについて私たちが持っている知識は、ごく限られています。ノウルーズの歴史は、紀元前に遡りますが、イランの歴史文献上では、紀元1世紀までノウルーズに関する記述は出てきません。ノウルーズの祝祭の実施に関する初の資料は、紀元1世紀のアルサケス朝のヴァラシュ1世の統治時代のものです。しかし、歴史学者はイラン南部の町シーラーズの近郊ペルセポリスに一連の建造物が建てられたのは、アケメネス朝の王たちによるノウルーズの儀式の開催が目的であったと考えています。

これに対し、現代イランの研究者ザッリーンクーブ博士は、ノウルーズの祝祭を大衆的なものであるとみなしており、この祝祭の起こりや存続における為政者の役割を否定しており、イランの人々の社会生活とノウルーズの関係について、次のように述べています。

「イラン人の先祖であるアーリア人は、古来から自然現象と強い結びつきを持っていた。彼らは、昼夜、寒暑の中、春と夏といった様々な折のための特別な慣習を有していた。実際に、彼らの使っていた暦や、イランにおける1年の各月の順番は、自然の変化に従ったものだった。だが、これらの祝祭の多くは、イランの人々の間に見られる楽観的で喜びにあふれた精神を物語っている」

ザッリーンクーブ博士

 

古代のイラン人にとって、1年は冬と夏の2つであるとされていました。しかし、その後数世紀の間に次第に4つの季節に分けられるようになり、さらに農業の暦に沿って1年の始まりが計算されるようになったのです。それによると、1年の初めに当たる春は自然の生命の始まりと、次の年に向けた農作業の始まりのシーズンとされています。このため、イランの人々は当初から春という季節に特別な敬意を払い、春の到来を祝う祝祭を催していました。イランの歴史を紐解いてみると、イランの新年の前段階は、イランの暦の12月であるエスファンド月に始まり、人々が新年を迎えるための準備をしていたことが分かります。新年の祝賀の期間は10日、もしくは13日間とされ、また一時期は5日間、あるいは3日間だったこともありました。

 

 
ノウルーズの歴史もさることながら、その社会的な機能やルーツも探求するに値するものです。ノウルーズに関する研究を行ってきた社会学者の多くは、イランをはじめ、世界でペルシャ語を使用する人々の間でのメッセージは、変化であると考えています。このことにより、一部の思想家はイランの人々を、変化を好む国民であるとみなしています。

イランは、その地理的、戦略的な位置づけから常に変化にさらされてきました。イランの特徴は、ヨーロッパとアジアを結ぶシルクロードの要衝に位置し、また国際海域に到達できる位置にあることです。さらに、一神教の信仰や進歩的な思想を受け入れたこと、そして近隣諸国との平和共存の強調も、これまで長年にわたりイランの人々が経験してきた事柄です。

実際、イランの人々の間に見られる変化を好む精神は、彼らの歴史的なアイデンティティの一部だといえます。イランの人々のアイデンティティには、一連の文化や風俗習慣、信条が含まれており、それらは過去から現在までイランに存在してきました。その1つが、ノウルーズを祝う習慣とその祝祭の実施です。このアイデンティティは、イスラム教の受容といった有意義な出来事により、過去1400年の間にさらに充実したものになりました。

ノウルーズ

 

イランの社会学者サイード・モイードファル博士は、このノウルーズの社会的な歴史について、イラン人のアイデンティティの最も重要な要素の1つがイスラム教であると考えています。イスラムは、他には類を見ない独自の方法で人間を定義づけており、イランにおいて急速に人々の正式な宗教となって、彼らの生活に深い影響を及ぼしました。

イスラム教は、イランにおいて人々の暮らしの個人的、社会的な側面に影響を与えました。この啓示宗教は、金曜礼拝やメッカ巡礼といった集団での宗教行為の一部を通して、社会への帰属意識を強化し、そのほかの社会的な慣習や行事においても互いに寄り添うよう人々を奨励したのです。このため、イスラム以前には特別な形で行われていた一連の祝祭は、イスラムという新しい宗教の伝来とともに、その内容や構造の面で根本的な変化を遂げました。イスラムが伝来する前までは、ノウルーズの儀式は娯楽や祝い事としてのみ実施されていましたが、イスラム以後は、心や精神面での一新や変化がこの祝祭の最も美しい側面の1つとされています。

ノウルーズ

 

イランの文学と芸術は、春という季節に学ぶことや、好ましい慣行儀礼の再生という、奥深い詩人的な解釈に溢れています。明らかに、こうした捉え方はイスラムの慣習やその偉人たちの教えから来たものです。たとえば、イスラム教シーア派初代イマーム・アリーは、罪が犯されなかった日があれば、その日は祝祭であると述べています。イランの人々は、この哲学的な名言に基づいて、1年の始まりの日々に自らの内面を清め、他人へのよい行いや任意の寄付などにより祝うように心がけています。

ノウルーズ

 

イラン人の習慣として、新年の始まりの瞬間や年明けの日々にコーランを朗誦したり、祈祷をささげること、また近親者や友人を訪問し、全ての人々の健康と幸せを願うといったものが挙げられます。こうした特長により、ノウルーズの祝祭は世界各地の新年の祝祭とは異なったものとなっています。今日、世界の祝祭の多くは何もせずにのんびりと過ごしたり、好ましくない行動に走るきっかけになってしまっていますが、これでは人々の生活の個人的、社会的な側面のいずれにもプラスの変化が起こることはありません。

これに対し、ノウルーズは全く異なっており、神の存在を思い起こして神の名を唱えることや、国民的、精神的な一部の慣習を伴っています。年が切り替わる瞬間に何をするかと、世界各地のいずれのイラン人に尋ねてみても、次のような答えが返ってくるはずです。

「私たちイラン人は、新年を迎える前に自分の家や衣服、さらには心と精神を掃除し、清めます。そして、ソフレと呼ばれる布を広げ、そこに恩恵や生命、精神性のシンボルとなる縁起物を並べます。それらは、イスラムの聖典コーラン、鏡、水、発芽させた観賞用の穀物の新芽、りんごなどです。ノウルーズの際には、家族全員でこれらの縁起物の周りに集まり、友人や近親者の健康と幸せ、そして生活における変化と、自らの現状の改善を願います。新年が明けると、友人や知人への訪問や来客、そして喜びが私たちを温かく包んでくれます。私たちイラン人は、これまで長年にわたりこのような形で新年を祝ってきているのです」

 


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