ノウルーズの調べ(1)(音声)
イラン暦の新年ノウルーズは、慣習であるとともに、人間や自然の創造の象徴を示す存在です。これは、人々が生きてきた歴史の紆余曲折を伴う、思考を新たにするものです。
イラン暦の新年ノウルーズは、慣習であるとともに、人間や自然の創造の象徴を示す存在です。これは、人々が生きてきた歴史の紆余曲折を伴う、振り返る機会です。ノウルーズは、イラン人の間でさまざまな調べと共に生き続け、音楽家はノウルーズをさまざまな形で伝え続けています。
イランの人々が感謝と共に新たな年を迎え、さまざまな形でその喜びを表すようになってから、長い年月年が経過しています。そのうちのひとつは、ノウルーズ語り、あるいはノウルーズ唄いというものです。この古い慣習は、現在も少なくなっているものの、古い時代の文献の中から、そのしるしを見出すことができます。
このような歌の歴史は、イスラム以前にさかのぼりますが、イスラムとシーア派が入った後、ノウルーズ語りの詩は、宗教的な色を帯びるようになりました。
春唄い、ともいわれるノウルーズ語りは、数十年前まで、イランの多くの地域、特に北部のターレガーンをはじめとするアルボルズ州、マーザンダラーン州、ギーラーン州、セムナーン州で広く行われていました。しかし、今日、僻地の村でわずかに見られるのみです。
ノウルーズ語りを行う人は、歌を歌う人が一団になり、春の到来を人々に告げていました。ノウルーズ語りは、通常、パフォーマンスアートを伴っていました。
古代におけるノウルーズの祝祭では、音楽や、しばしば寒さの象徴を追い出し、春を迎える小さな催し物が行われました。この式典は、現代のカーニバルのようなものだったのです。
また、イランの一部の地域では、ノウルーズ語りを行った後、人形劇やパフォーマンスを行うグループが催し物のプログラムを行い、ノウルーズ語りを行う人も、それを見ていました。このパフォーマンスの実施方法は、地域ごとにさまざまで、それが行われる時期や、その歌もそれぞれ異なっていました。この違いはイランの地理的、文化的な多様性によるものです。しかし、すべての催しものは、春の到来とその喜びを伴っていました。
ノウルーズ語りの調べは、大変シンプルです。それはノウルーズ語りを行う人のほとんどは、プロの音楽家ではなく、村の普通の人だったからです。ノウルーズ語りを行う人々は、アルボルズ山脈の北と南の文化と音楽の交流における重要な要素だったのです。
ノウルーズ語りの詩は、ペルシャ語で、地方の方言によるものでした。この詩はさまざまな部分で構成されており、それぞれの部分は、独自の調べを有しています。
ノウルーズ語りの一団は、3人から構成されます。一人はサルハーンと呼ばれる主唱者で、ノウルーズに関する詩を歌います。それは、このようにして始まります
春が来た
花園に花が来た
友よ、良い知らせをくれ
王のノウルーズがやって来た
主唱者の後に、2人がこの詩を繰り返し、一人は後ろに袋を背負い、人々の贈り物を集めます。最初の部分の終わりに、アダムとイブとして知られる預言者アーダムとハワーや、預言者イブラーヒームの物語などの一部の物語が使われることもありました。
ノウルーズ語りの2番目の部分では、ノウルーズ語りの人々が、家主について、即興で詩を語ります。この部分では、皮肉や賞賛を語ることのできる場となっています。
また、ノウルーズ語りの3番目の部分では、春やノウルーズについて表現されます。
ノウルーズ語りとは、喜びの、また、互いに対する愛情を伴う行事でした。ノウルーズ語りの人々は、地域や村の雰囲気を喜びあるものにし、ツゲの木の枝を持って、家の主人に渡し、彼らのために祈祷を行いました。人々も、ノウルーズ語りを行う人々が家に来ることは喜ばしいことだとして、彼らに米やお菓子、卵、あるいはお金を贈っていました。
ノウルーズ語りのメロディは、単純です。このようなものを唄うのは一般の人々であり、プロの音楽家ではなく、単純な形で歌や演奏が行われました。彼らのプログラムのすべての部分は短く、繰り返されます。
各地において、ノウルーズ語りの歌は、その土地の歌に影響を受けていました。コールアンドレスポンスのような形の唱和の形式を取ることは、多くのノウルーズ語りの特徴です。ノウルーズ語りは、完全に歌であり、その中で、楽器が使われることはありません。この中で扱われるテーマは、多岐にわたっていました。
ノウルーズ語りは、再び春とノウルーズを迎える中での人々の感情を表現し、また、宗教的な信条や慣例的な思想を広めるものです。ノウルーズ語りは、政治的、社会的に不快な出来事に関して、たとえや皮肉を用いて、情報や事実を伝え、それはメディアのように次から次に一連のニュースを伝えるものでした。
ノウルーズ語りを行う人々とは別に、歌い手も、ノウルーズの到来に関する慣習の中で、重要な役割を果たす人々であり、その歌の中で、春とノウルーズの到来を歓迎していました。
歌い手は音楽のみならず、人々の心をも導きます。彼らは国民の、そして宗教的な物語や口承文学の伝統を記憶し、伝える人々であり、その伝説は、世代から世代へと伝えられてきました。
歌い手は、即興詩を詠んだり、歴史的、国民的、宗教的な物語やロマンスを伝える人物で、人々の心に対する影響力を持っていました。彼らに対して大変大きな信用が与えられたほど、歌い手の存在は重要だったのです。
イランにイスラムが流入すると、歌い手の伝統はさまざまな分岐を果たしました。一部の集団は、国民の伝説を伝え、またある一部はイスラムの先達の英雄伝を語るといった状況でした。確かに、これらのグループと比べてあまり語りを行わず、ノウルーズ語りを行うグループもいました。彼らは古い語り部の伝統を残す人々であり、その一部の伝統は、口承により、現代に伝えられました。
こういった人物は、ノウルーズ語りの慣習が一般的でなかったイランの一部の地域で、歌という形で春やノウルーズを表現しました。それから、ほとんどの歌い手が、熟練した技術により、プログラムを行ったのです。そのプログラムは通常、複雑な曲調を有し、一人、あるいは数人による楽器演奏を伴っていました。このノウルーズの歌は、村のノウルーズ語りとは違っていたのです。
このように、ノウルーズの音楽を調べる中で、一方では人々による単純かつ自発的な慣習が見られるとともに、もう一方では、ある時代において、歌い手の慣習である古い伝統がノウルーズと結びついたということができます。その後、この2つの現象は互いに関係を持っただけでなく、互いを補う形になりました。
残念ながら、この音楽の祭典や喜びに満ちたプログラムの痕跡が残っているのは、文書研究の中のみです。それも、完全な形でノウルーズ語りの雰囲気を再現できる研究成果には、まだ程遠いでしょう。春の到来の吉報を、愛とやさしさを持ってそれぞれに伝え、人々の唇に笑みをもたらす、これこそが真の春なのです。
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