4月 01, 2019 00:30 Asia/Tokyo
  • イランイスラム共和国の日に寄せて
    イランイスラム共和国の日に寄せて

イランの暦においてファルヴァルディーン月12日に当たる1日月曜は、イスラム共和国の日に制定されています。この日は、イランの政治情勢に大きな影響を及ぼす変化が始まった日です。

1979年3月31日、イラン国民はまだイスラム革命から2ヶ月もたたないうちにイラン全土で国民投票を実施し、イランの政治体制としてイスラム共和制を選びました。まさにこの日が、イスラム共和国の日に制定されたのです。この国民投票では、イラン国民の98%以上がイスラム共和制に賛成票を投じました。

1979年ファルヴァルディーン月12日の国民投票

 

イランのイスラム革命の指導者だったホメイニー師は、イランの政治体制を選ぶために国民投票の実施という、歴史的な決断を下しました。これは、イスラム体制では人々の投票を参照することが基本原則であることを示しました。この国民投票の実施は、人々が自由に自分の思惑とする政治体制を選択できることを証明するものです。ホメイニー師は、この国民投票の実施の発表に際して、メッセージの中で、次のように述べています。

 

「この国民投票は、わが国の国民の運命を決定するものである。あなた方を自由と独立に導くか、あるいは以前のように閉塞感と他国への従属に引き戻すかのいずれかである。この国民投票は、全ての人々が参加しなければならないものである。あなた方は、自分の希望する体制を何でも選ぶことができる。あなた方には権利があり、投票用紙に民主的な共和国と書いてもよいし、王制あるいはその他の体制と書くこともできる。あなた方は、これについての権限を持っている」

ホメイニー師

 

イランの政治体制を決定する国民投票には、国民の99%近くが参加しました。このことは、覇権主義勢力による空虚な吹き込みや主張に反して、イランのイスラム革命が民主主義的な基準を信じており、イスラム共和制が国民の投票や選択をよりどころとしていることを世界の人々に示しました。この見解から、この国民投票は世界的なメッセージを持っていました。イラン国民が、イスラム共和制に一致団結して決定的な票を投じたことにより世界に送られたこのメッセージは、明白で透明なものでした。

1979年ファルヴァルディーン月12日の国民投票

 

1979年3月31日の国民投票の結果は、イスラム共和制というものが人々が自らの運命を決定するという原則から生まれたものであるという、重要な点を認証しました。このため、イスラム共和制を樹立させた国民投票の実施は、イランにおける宗教的な民主主義体制に躍動感をもたせることや、イラン国民による覇権主義の排斥のプロセスに重要な影響を及ぼしたのです。この国民投票の重要な側面の1つは、体制の独立という基本を強化する上での、社会の政治的な動きの継続です。この原則や革命的な信条は、イスラム共和制の中で存続しています。この傾向は、イランイスラム共和国の誕生から40年近くが経過する間に、国運を決定する数々の選挙で人々が直接投票箱に足を運んだことにより、何度も繰り返されました。このため、イスラム革命の勝利からわずか2ヶ月も経たない、3月31日の国民投票の実施は、イスラム革命と世界のそのほかの革命との違いを明白なものにする、偉大な日と見なすべきなのです。

1979年ファルヴァルディーン月12日の国民投票

 

イランのイスラム革命は、今から40年前に勝利を収めました。世界各地で勃発したその他の革命が、時間の経過とともに当初の理念や原則から離れ、衰退していったのとは異なり、イランのイスラム革命は当初の理念を守っています。イランのイスラム共和制は、対イラク戦争や経済封鎖、大規模で圧政的な制裁といった数々の圧力や陰謀にもかかわらず、揺ぎ無い革命的な精神により、自らの道を進み続けているのです。傲慢で威圧的な勢力に対するイラン国民の抵抗は、政治、経済、社会的な舞台においてイスラム共和制の可能性を明らかにし、この体制が倫理的、宗教的な価値観に基づく統治体制として、確実に自らの目的に向かって歩み、その理念から決して外れていないことを、世界に示しました。

 

イラン国民の革命上の理想と目的は、実際にイスラム共和制において結晶として現れています。この理想をより所として、イラン国民は敵やその陰謀の前に立ちはだかってきました。イラン国民の抵抗により、敵は目標を達成できなかったのです。

 

イスラム共和制の思想的な基本とイデオロギーは、あらゆる覇権主義とそれに対する迎合を否定し、覇権主義勢力に対する自らの権利を守ることです。イスラム共和制がこうした原則と、行動や思想面での基本を有していることから、世界的な覇権主義者は怒りをあらわにしています。現在も、イスラム共和制は、イラン国民の投じる票と意思をより所とし、敵の過剰な要求に抵抗して、イスラム革命の理念とイラン国民の合法的な要求を防衛しているのです。この民主的なプロセスは、この体制の躍動感や大きな可能性を示しており、それにより独立を求める各国の国民の間に未来への希望をもたらし、また彼らに権力を笠に着て過剰な要求を押し付ける勢力に抵抗するための意欲を沸かせているのです。

 

過去40年間の実績に視点を投じてみると、イランのイスラム共和制が誇りと栄誉を持って、武器を使った戦争から武器によらないソフトウォーに至るまでの陰謀に立ち向かうことに成功した、という事実が明らかになります。イスラム革命の勝利後、イラン国民の敵はこの革命を危険なものとして提示することに全力を挙げてきました。その目的は、イスラム共和制のイメージをゆがめ、これが民主主義的でないと吹き込むことでした。しかし、イスラム共和制は外交の舞台において核問題における敵の脅迫を、イラン国民の権利を確定させるためのチャンスへと転じさせることに成功したのです。この大きな成功は、敵が複雑に仕組んだ陰謀に対するイランの政治的な能力を示しました。

 

多くのアナリストの見解では、イランの孤立化を目的とした、イスラム共和制の敵による工作は、地域・国際的な慣行法におけるこの体制の価値を下げることはできなかったとされています。イランは現在、経済交流の舞台において、核合意の実施後は多くのヨーロッパ・アジア諸国にとって第1の選択肢となっています。これらの成功は、アメリカを筆頭とする覇権主義体制の破壊工作にもかかわらず達成されました。

 

現在、イランは学術・知識の分野でも、目覚しい成長率を記録していますが、それは制裁の時代に達成されたものです。イランは、世界で最も高い知識生産の成長率をあげている国の1つであり、ES細胞の生産やクローン技術、核技術およびこれを利用した放射性医薬品の生産、原子力発電所に必要な燃料の生産、そしてナノ技術を利用しての製品の生産などの分野で、世界最先端の技術を持つ国とされています。

 

今年も、あらゆる舞台において圧力や脅迫、制裁に断固と立ち向かい、決意を固め、力強く前向きに歩む中で、イスラム共和制にとって41回目の春が始まっています。

 

イランの敵は、イスラム革命の勝利後、毎年イラン国民のイスラム革命に対し、経済的、軍事的な側面において武力やそれ以外の権力を行使することに努力してきました。しかし、決してこうした圧力により、この革命の価値が下がることはなかったのです。革命後にイラン国民が踏み出した大きな歩みは、実際に敵の憶測や思惑の全てを狂わせました。この大誤算により、敵はイランへの敵対に当たって、長く苦しい行程を歩むことになりました。しかし、こうした挑発行為によりイラン国民の栄誉と偉大さはさらに大きなものとなり、敵もこの事実を認めざるを得なくなっています。イランのイスラム共和制は、あらゆる舞台において、一国の国民が自らの威信やアイデンティティ、安全、そして利益を獲得したいなら、それには抵抗や自己献身、自信が必要であることを示しました。

イランイスラム共和国の日に寄せて

 

イスラム共和制の敵は、過去40年間において様々な陰謀を企み、この体制を否定し、イラン国民の独立性をゆがめて、この体制への彼らの希望を失わせようとしてきました。しかし、彼らはそうしたマイナス的な挑発行為をもってしても、この体制や革命の支柱に打撃を与えることはできなかったのです。

 

アナリストの見解では、イランは今日、これまで以上に安定しており、革命の敵が以前にイスラム共和制の現実をゆがめようとしていたとしても、現在となっては事実を恒久的に隠すことはできないことを認めざるを得ないだろうとされています。このため、イスラム共和制の日であるイラン暦ファルヴァルディーン月の12日は、革命の勝利後の単なる暦上の記念日であるのみならず、今やイスラム革命が成熟と発展の途上にあり、前向きに動いていること、そして、革命的な価値観やその理想から決して後に引くことなく、これまでどおり革命的な価値観を守っているという事実を示しているのです。

 

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