May 02, 2022 01:00 Asia/Tokyo

今日は祝祭の日です。この祝祭は、天と地が喜びに沸く祝祭です。 地上の住民は崇拝と祈祷の1ヶ月に感謝し祝祭を行い、天上の住民もまた、地上の住民に天からの報償を与えます。この日は天と地が喜びに沸く日です。

今日イスラム暦シャッワール月1日は、イスラムの大祝祭のひとつ、断食明けの祝祭です。イスラム教徒は1ヶ月の断食と神の崇拝を終え、断食を解き、この偉大な日を祝います。断食明けの祝祭は、崇拝と自己形成の月であるラマザーン月と別れを告げる日です。この日に断食を行うことは禁じられています。人々は欲望に打ち勝ち、敬虔さを手にするための1ヶ月の努力を経て、断食明けの集団礼拝を行います。断食明けの祝祭、イード・フェトルに際して、すべてのイスラム教徒にお祝い申し上げます。

 

ラマザーン月の日々が刻一刻と過ぎていきました。イスラム教徒はこの間、断食明けの食事と夜明け前の食事をとり、神の御前で崇拝行為と僕であることの甘美さを味わいました。現在、シャッワール月の初日の朝を迎え、ラマザーン月に別れを告げ、祝祭に入る中で、生まれ変わったことを感じ、これまで以上に信仰の香りをまといます。この日、すべてのものが神の色と香りを放ち、人間は自ら神への祈祷と信仰の舞台にいるのを目にします。というのもこの日、何よりも神の恩恵が僕に降り注がれるからです。人々はこの機会を利用し、慈悲深い神に親しみ、僕の道を進みます。

 

断食明けの祝祭は、多くの信者が毎年その精神性の甘美さを改めて味わう日となっています。物質欲から解放され、僕として崇拝を行った1ヶ月は、人間に満足感を与え、まるで敬虔な信者に約束された来世での喜びの一つを、経験しているかのようです。断食明けの祝祭は、1年に一度経験する快い精神的思い出です。この喜ばしい日は、この1ヶ月に対する信者の満足の日である一方で、神の満足にあふれた日でもあるのです。

断食明けの祝祭

 

イスラムの文化において、断食明けの祝祭は多くの重要性を有しています。この重要な地位は、イスラム教のすべての宗派において正式に認められています。このため、すべてのイスラム諸国は、この重要な日に敬意を表すために、個人や集団での慣習や伝統、しきたりを多く有しています。この日、各国では独自のしきたりが実施され、イスラム教徒は、出来るだけ壮大にこの宗教儀式を行うよう努力します。実際、15億人以上のイスラム教徒が、ラマザーン月が終わった後、断食明けの祝祭を祝うのです。

 

断食明けの祝祭はイラン人にとってもラマザーン月に精神的別れを告げる日です。断食明けの祝祭の日の礼拝は義務ではありませんが、その日の朝には、最初の太陽の美しい光が立ち上ると共に、イランの敬虔な僕たちは沐浴し、新しい服を着て、他のイスラム教徒と共に、心を一つに祝祭の壮大な礼拝に参加します。

 

信者達は礼拝の後互いを訪問し合い、祝辞を述べます、実際、断食明けの祝祭はイスラム教徒の壮大な連帯の明らかな表れであり、それは、悪魔の屈辱・絶望、イスラムの敵や覇権主義者への軽蔑につながるものです。

 

ヨーロッパの著名な学者、トマス・アーノルドは、「イスラムへの招待」という著書の中で、このように記しています。

 

「規律正しく整然と行われるイスラム教徒の集団礼拝は、偉大なる神を崇拝するものであり、イスラム教徒が他よりも優れていることを示すものだ。数千人がデリーのモスクで、ラマザーン月最後の金曜日や祝祭の日に礼拝を行う姿を目にした者は、こうつぶやく。「この美しい場面を目にし、それが他のどんな宗教儀式よりも優れていることを認めない者はいない。」。礼拝の呼びかけの声が人々の心を揺さぶり、彼らを礼拝に呼びかける。そしてこのとき、信仰と崇拝行為の偉大さが現れ、人間はこの精神性をイスラム教徒の中に目撃し、心動かされる」

 

ラマザーン月の終わりと断食明けの祝祭の前に果たすべきイスラム教徒の義務の一つは、ザカートととして、およそ3キロ分の穀物などの食料に相当するお金を寄付することです。断食明けのザカートは貧困撲滅、経済発展、社会問題の解消のための大事な行為です。貧困者への支援と共に、ザカートを他の形で提供することも可能であり、その中には、互いに協力し合ったり、相手の衛生、医療、文化状況を気遣うことが含まれています。断食明けのザカートとして、個人の債務を払うこともできます。モスクや学校、橋、道路、病院を建設し、イスラム教徒のニーズを満たすためにも、この人々の寄付金が使用されます。

断食明けの祝祭

 

ある宗教の専門家はこのように語っています。「イスラムは社会的な宗教であり、その中では人間の生活の様々な側面が考慮されており、貧困者への支援もまた重視されている。断食明けの祝祭の多くの恩恵の傍らで、この日は貧困者の祝祭とも呼ばれている。神はこの祝祭で、ラマザーン月に断食を行った僕に次のことを理解させる、それはラマザーン月に、貧しい者と富める者が共に飲食を控え、飢えと喉の渇きを経験したように、その月の後も、こうした同調が継続され、貧困ではない人々が寄付を行うことで、恵まれない人の今後のニーズの一部を満たすことができるようにすべきだということである」

 

シーア派4代目イマーム、サッジャードは、断食明けの祝祭を、イスラム教徒が互いに協力し、集団となって喜びを分かち合う日とみなし、このように述べています。「神よ。我々は断食明けの祝祭の日にあなたの元に戻る。その日は信仰の民にとって喜びの祝祭であり、あなた自身の民にとって共に助け合う日として制定された」

 

ラマザーン月に断食を行ったイスラム教徒は、シャッワール月の初日に神からの報酬を求めます。シーア派初代イマーム、アリーは、断食明けの祝祭での説教で、信者に吉報を、不信心者に恐れを与え、このように述べました。

 

「人々よ、この日は善人が報酬を得、悪人や放蕩者が希望を失う日であり、これは最後の審判の日とよく似ている。それゆえ家から出て、祝祭の礼拝の場所に向かうことで、神のもとに向かうことを想起しなさい。そして礼拝に立つことで、神の御前に立つことを思い起こし、家に帰ることで、楽園の家に帰ることを思いなさい。神のしもべたちよ。断食する男女に与えられる最小のものは、天使がラマザーン月の最後の日に、こう言うことである。「あなた方に吉報あれ。過去の罪を許された神のしもべたちよ、未来について考えよ。どのように残りの日々を過ごすか」と」

断食明けの祝祭

 

イランイスラム革命最高指導者のハーメネイー師は、断食明けの祝祭の重要性について、このように語っています。「至高なる神はこの月の偉大な儀式を簡単に終わらせることのないように定められた。崇拝の月であるこの月の終わりに、祝祭の日、社会の日、偉大な日を置かれた。イスラム教徒の同胞は互いに祝辞を述べあうべきであり、ラマザーン月の成功を高く評価すべきだ。自らと神の間を考慮し、この尊い月に蓄えたものを自身のために維持すべきだ。その日こそが断食明けの祝祭である、この日は祝祭であるが、神への崇拝の日、神に従う日である。礼拝によって始まり、祈祷や神の名を唱えることで終わる。この日の真価を認めよ。信仰という蓄えを利用し、断食明けの祝祭を偉大なものとみなすべきだ」

 


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