7月 25, 2016 15:10 Asia/Tokyo
  • 神の属性、正義

この番組では、前回に続いて神の属性、正義についてお話することにいたしましょう。

唯一神を信仰しているすべての宗教において、公正は神の属性の一つとされています。イスラム教徒、ユダヤ教徒、そしてキリスト教徒は神を公正なものとみなし、神は僕にいかなる圧制も加えないと考えています。神の公正さについて説明しているコーランの節、預言者やそのほかの宗教の偉人の言行録では、このことが注目されています。

 

ある日のこと、イスラムの預言者ムハンマドがモスクにいると、ユダヤ人の男が入ってきて唯一神と神の属性について尋ねました。「あなたの神は圧制を行うか?」。預言者は「いいえ」と答えました。ユダヤ人の男は尋ねました。「それはどういう理由からか?」。預言者は答えました。「それは圧制の醜さを知っており、それを行う必要がないからだ」。ユダヤ人は言いました。「これについて神から何かあなたに啓示が下されたのか?」。預言者は「その通り」と答えると、コーランの節を彼のために朗誦しました。

 

公正は世界の神の重要な属性です。神の属性としての公正の重要性は、神の最も肝要な属性である唯一性と並ぶほどのものであり、イスラムの信条において特別な地位を誇っています。公正はシーア派において重要な原則とみなされており、この宗派の信条の一つです。神の公正の重要性はそれが預言者や来世、善人への報酬と悪人への懲罰、人間の自由意思、災害や病気といったイスラムにおける信条や価値観の多くと深く結びついているためです。

 

イスラムの聖典コーランでは、常に公正が勧められ、圧制が非難されています。コーランの教えによれば、神は自らの創造物に対して、いかなる圧制も行いません。コーランでは公正は神の属性であるとされ、コーラン第3章アールイムラーン章、イムラーン家、第18節には次のようにあります。

 

「常に公正によって蜂起する神は、彼以外神はいないことを証明しており、(彼の)天使や学者たちも全知全能の彼以外、何者も神ではないことを証明している」

 

コーラン第10章ユーヌス章、ヨナ、第44節にはこのようにあります。

「神は決して人々に圧制を行わない。しかし人々自身が自らに圧制を加える」

シーア派初代イマームアリーも、神が人間に圧制を行わないことについて、このように述べています。

「神は自らの僕に圧制を行わず、自らの創造物を公正に扱う」

 

イスラム教では、信条的な基盤に関する原則やバランス、個人の性質、社会的な行動や協力、経済取引、政治的関係などはすべて公正に基づいています。そいて何より、創造のシステムは公正とバランス、能力の順守に基づいています。最後の審判でも、公正は幅広い意味で打ち立てられています。神は最後の審判での人間の運命、報酬と懲罰について、コーラン第21章アルアンビヤー章、預言者、第47節で、このように述べています。

「そして我々は公正の天秤を最後の審判の日に据える。誰にもわずかな圧制も加えられることはない。もし(善行、悪行が)辛子の実ほどの重さであっても、それを(計算のために)持ち出す。我々は清算者として十分である」

 

言行録にも、神の唯一性の傍らに公正が宗教の基盤の一つとして提示されています。シーア派6代目イマーム、サーデグは、これに関して次のように述べています。

「本当に宗教の基盤は唯一神と公正である」

 

さて、公正とは何なのでしょうか。公正は、言葉上では様々な意味で使われます。バランス、均衡がとれていること、平等であること、物事において極端ではなく中庸であること、といった意味があります。イマームアリーは公正について次のように述べています。

「公正はすべてのものをそれ自身の地位に据える」

ここから、すべてのものがそのふさわしい地位につくときに初めて、公正の中身が真に実現されるといえるでしょう。

 

概して、神は二つの点から公正という属性を有しています。一つは生命の世界の創造において、もう一つは人間のための法体制、人生においてすべきこととしてはならないことの決定においてです。とはいえ、神の公正さについては他のことも言われており、その一つが「報いにおける公正」です。今夜の番組では創造システムにおける公正、あるいは創造の公正についてお話することにいたしましょう。神は創造世界を公正に基づいて創造しました。イマームアリーは言行録の中で、このように述べています。「公正は生命世界の基盤である」

 

さて、創造世界における神の公正はどのようにして実現されるのでしょうか。宗教の教義によれば。創造世界は公正に基づいて構築されています。神はあらゆる存在物に、それにふさわしい程度に恩恵を授けており、存在物の能力を一切無駄にしません。創造の公正とは、神が各存在物に、その能力に応じて恩恵を施し、それをその能力に応じて利用させることです。

 

私たちは、創造の世界が、非常に複雑で大きなシステムとして、そのあらゆる場所で均衡がとられていることを認めています。創造における公正とは、この世界の物事の構成において完全にバランスがとられており、すべてのものがその場所に相応しく創造されていることを意味します。これについて、コーラン第55章ラフマン章、仁慈者、第7節にはつぎのようにあります。

「そして天を掲げ、(その中に)秤(と法)を置かれた」

 

この節は、創造において秤を用いて、創造の中にバランスと均衡を保ったということを強調しています。言い換えれば、非常に計算されたシステムが世界中を占めている、ということです。たとえば、太陽がその重さと質量に基づいて適切な位置になければ、太陽系は一切存在しないか、あるいは急速に崩壊してしまうでしょう。また太陽系の引力と斥力のバランスがとれていること、あるいは太陽と惑星がその質量に基づいて適切な距離を保っていることなどを見ると、世界のシステムにおいてどれほどバランスがとられ、すべてのものが正確な位置にあるかがわかるでしょう。

 

神と世界との関係を見てみると、神が創造物の創造において尽きることのない力や英知を有していることがわかります。神の英知はまた、物事を最大限に堅固に実行することを必要としています。このため、神には一切の制限はなく、創造世界を最大限に美しく強固に創造することができるのです。神が公正であるということは、世界の神が英知に反して何かを実行することはないという意味であり、ここで公正はより幅広い意味を帯びているのです。

 

神の創造物に注目する際、自然世界を最大限に美しくバランスのとれた形で目にすることができます。たとえば、神は樹木に、地球上の生命サイクルにおけるその重要な役割に注目して、深い根と強固な幹、大枝を授けています。根、幹、枝、葉、その他の木の各部は、一種のバランスがとられています。自然界の生物の一つ一つ、自然界の出来事を注意深く見てみると、特別なバランスが生じており、このバランスこそ、神が生み出したものなのです。このように創造世界における公正とは、世界の存在物における完全な調和やバランスなのです。

 

創造のシステムにおいては明らかに、創造物はその与えられた能力と可能性において、それぞれに異なっています。存在物はそれぞれ、その階級において、能力の点から相応しい地位を有しています。絶対的な力を持ち、恩恵の源である神はあらゆる生物に、可能なだけのものを授けています。世界のシステムにおける神の公正とは、存在物が、それぞれの能力の程度に従って受けるものであり、神は自らの恩恵をすべての存在物に可能な限り惜しみなく与えるのです。