May 28, 2022 15:58 Asia/Tokyo
  • ザーヤンデルード川
    ザーヤンデルード川

イランの広大な大地を旅する、「ようこそ、イランへ」。前回から、イラン中部にあるイスファハーン州を訪れ、この州の自然や地理についてお話ししました。今回は、この州の州都、イスファハーンについて、一部の歴史的な建造物と共に、お話ししてまいりましょう。

イスファハーン州の州都、イスファハーン市は、イランの重要な工業・観光都市のひとつです。イスファハーンは、イラン高原にあるザグロス山脈の東側の裾野に広がっています。この町は、ザーヤンデルード川の傍らにある緑豊かな平原に位置しています。この町は、面積およそ280平方キロメートル、海抜は1500メートル、人口は160万人を超え、イランでも人口の多い都市のひとつとなっています。

 

ザーヤンデルード川

 

イスファハーンは、ザーヤンデルード川の存在により、最古の時代から、常に様々な民族や数多くの王朝を受け入れてきました。この地域のいたるところにある数百もの歴史遺産を見ると、イスファハーンが、イラン中央高原の都市文明が発達した最初の場所であったことが分かります。この町は、イランの歴史において、重要な大都市のひとつと見なされてきました。イランの古代の歴史家は、イスファハーンが生まれたのは、ピーシュダーディー朝の3代目の王、タフムーレスの時代、あるいはそれ以前の時代だとしています。それによると、イスファハーンの町の建設は、4700年前に遡ります。またこの他、イスファハーンの歴史の古さを示すものに、この町やその周辺の村の人々の方言があります。それらは、古代や中世の言葉がそのまま残ったものであったり、変化したものだったりします。イスファハーンという名前、そしてその周辺にある多くの町や村の名も、中世ペルシャ語のパフラヴィー語やゾロアスター教の聖典アヴェスターに由来します。

 

ザーヤンデルード川

 

931年、イラン各地に地方政府が樹立されていた頃、イスファハーンはイランの著名な軍司令官で、ズィヤール朝の建国者であったマルダーヴィージの目に留まりました。彼は、イスファハーンに滞在していた短い間に、この町の繁栄に大きく貢献しました。イスファハーンは、セルジューク朝時代にも注目され、セルジューク朝の王、トグロルは、イスファハーンに強く惹かれ、12年間、この町に滞在し続けました。この間、トグロルは、町の繁栄、特に公共の建物の建設に莫大な資金を費やしました。イスファハーンのジャーメモスクは、この時代の貴重な建造物です。イスファハーンの繁栄は、11世紀、イランのイスラム教徒の著名な地理学者、詩人、旅行家であった、ナーセルホスローの言葉に表れています。「私は、ペルシャ語を話す土地の中に、イスファハーンほど美しく広大で繁栄した町を見たことがない」

 

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セルジューク朝の崩壊後、イスファハーンも衰退し、モンゴル族の襲来によって、大きな被害を受けました。この中で、イスファハーンの多くの人が殺害され、多くの建物が破壊されました。1591年、イスファハーンは、サファヴィー朝の首都に選定されました。この町は、サファヴィー朝時代、当時、世界で最も豊かで繁栄した都市となりました。その後、200年近く、イランの首都であり続け、多くの外国の旅行家によって、世界で最も美しい首都の一つに数えられていました。イタリアのピエトロ・デッラ・ヴァッレ、フランスのシャルダンなど、ヨーロッパの旅行家のイスファハーンに関する記述から、当時のイスファハーンの名声や偉大さを知ることができます。この頃、イスファハーンには、非常に美しい宮殿やモスク、広場や橋が建設されました。そのため、外国の旅行家たちは、この町を、世界で最も大きく美しい町であるとしています。サファヴィー朝末期、アフガン人がこの町を破壊し、罪のない多くの人を殺害しました。アフシャール朝やザンド朝時代の重要な建造物は全く残っておらず、現在、この町に存在するのは、慈善家の人々の尽力により保存されてきた、ガージャール朝時代の幾つかの建造物のみとなっています。

 

ザーヤンデルード川

 

イランでの産業の発展と共に、イスファハーンは、この道を歩んだ都市のひとつとなっています。イスファハーン製鉄工場の建設により、この町は大きな成長を遂げ、現在、経済力と人口の点で、テヘランに次ぐイラン第二の都市となっています。最初の旅行家たちがイスファハーンを訪れてから1400年以上が経ちますが、この町の名は、世界中の旅行家によく知られています。イスファハーンの至る所には、芸術的、歴史的に貴重な建造物が数百も存在し、そのため、世界に9つある歴史・文化都市の一つに名を連ねています。

 

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イスファハーンの古代遺跡は、西アジアのみならず、世界中を見ても、他に類を見ないものです。建築家や専門家は、これらの建造物は、イランの建築様式を代表する最高のコレクションだとしています。これらの建造物には、ドームやレンガ建築、装飾芸術、タイル細工、象眼細工、鏡細工、漆喰細工、ミニアチュールが見られます。イスファハーンの古代の建造物は、特に北部や北東部で多く見られますが、中には町の郊外にあるものもあり、特別な重要性を有しています。そのひとつが、ゾロアスター教寺院であり、イスファハーンの最も古い歴史遺産とされ、昔から、考古学者や研究者の注目を集めてきました。

ゾロアスター教寺院は、イスファハーンから西に8キロ行ったところ、ザーヤンデルード川の近くにある岩の丘の上にあります。フランスの考古学建築家は、この建造物について包括的な調査を行い、それが建てられたのは、イスラム史以前のことだとしています。

 

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ゾロアスター教寺院がある岩の丘は、標高1680メートルで、イスファハーンの西の平原地帯にあり、その上からは、ザーヤンデルードの曲がりくねった川の流れ、緑豊かで広大な庭園や農耕地をのぞむことができます。寺院の廃墟には、火をつける場所が残っており、それは丘の最も高い場所にあります。その周りの少し低い場所には、数多くの部屋がありましたが、現在は、岩の丘の北と北東に、その一部が残っているのみとなっています。

 


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