3月 15, 2016 21:37 Asia/Tokyo
  • 衣服と文化的な現象の影響
    衣服と文化的な現象の影響

衣服は、民族と文化の最も重要な象徴であり、さまざまな社会において、文化的な現象の影響を急速に受けるものです。

文化的な支配は、まず衣服が伝えられることによって行われると考える人々もいるほどです。彼らは、ひとつの社会の衣服の変化によって、生産活動が変わり、社会的な生活の構造にも変化が生まれるとしています。

 

衣服は、一連の物質的な象徴により、社会の人々の間に文化的な体系を築きます。こうした象徴のなぞを解き、あらゆる社会における象徴的な言葉の内容を理解するためには、その社会の人々の文化的、社会的な行動や、宗教的、信条的な構造を知る必要があります。この番組では、イランの服飾の歴史についてお話します。初回の今夜は、社会の文化やアイデンティティにおける衣服の位置づけについてお話しましょう。

 

人類社会が生まれた当初、衣服は、身を守る役割を持ち、あらゆる自然や気候の要素から、人間の身体を守るためのものでした。後に、社会的、文化的な活動が広がりを見せ、宗教的な信条が人々の間に広まるようになると、衣服の色や質、デザインや縫製が、文化的な役割を得るようになり、社会的、文化的な側面を帯びていきました。

 

衣服や装飾は、それぞれが象徴的な形で、何らかの意味を社会に届けています。衣服は、それを着る人の社会的、経済的、宗教的、職業的な位置づけや精神的な状況、民族や社会的なグループにおける、その人の階層や位置づけ、年齢や性別の違いを示すものです。イランの人類学者であるブルークバーシー氏は、これについて次のように語っています。

 

「衣服の質や色、縫製やデザイン、衣服に関する単語は、恥じらいと冷静さ、魅力、虚栄心と謙虚さ、性的な魅力、社会的、経済的な信用、悲しみと喜び、貧しさと豊かさ、宗教的な信条などと混ざり合っている。そのため、過去であろうと現在であろうと、ひとつの社会や民族の人々の衣服、それぞれの衣服の歴史的、社会的な変化の流れ、その社会的な役割と影響、これらは、人類学研究において貴重な土台とみなされる」

 

社会のある民族やグループの人々の衣服全体において重要なのは、人々が、素材、色、デザイン、縫製の仕方を選ぶ際の文化的なモデルの存在です。もうひとつは、一部の衣服が、社会的、文化的、職業的な活動のさまざまな土台において、あるいは宗教的な儀式や行事において果たす役割や機能となっています。

 

このことをより分かりやすくするために、世界中のほぼすべての人に通じ、現代の世界において、社会的、道徳的に重要な問題と見なされる例を挙げてみましょう。一部の衣服、特に女性のファッションは、自らを飾り、魅力的に見せるために作られています。それらの衣服の素材、色、縫製は、多くが、ひとつの社会において受け入れられた慣習、文化的、宗教的、道徳的な価値観に反したものとなっています。そのため、このような衣服を着る人たちは、他の人よりも目立ち、奔放な人のグループに位置づけられます。

 

衣服は、言語と同じように、人々の民族的、社会的、地理的なアイデンティティ、政治的、宗教的、職業的な属性、社会的、経済的な地位や立場を明らかにします。衣服が社会の人々にアイデンティティを与える上で果たす文化的、社会的な役割を理解し、それが遊牧民や農民、都市生活者などの社会的な立場や文化的アイデンティティをどのように区別するかについて知るには、人々の衣服について、物質的な言語上のしるしと同じように分析する必要があるでしょう。

 

たとえば、イランでは、言語によって、クルド、ロル、バルーチ、トルキャマン、ファールスといった民族的なグループを区別するのと同じように、民族衣装や伝統衣装も、彼らを区別するものです。そのため、ひとつの民族の言語を変えることによって、彼らの文化的、民族的なアイデンティティも変える、あるいは消滅させることができるように、民族の衣服を変えることによって、彼らからアイデンティティを奪い、彼らの民族的、文化的な特徴を失わせることができるのです。

 

イランの過去の文化を知る指標のひとつは、イランの人々の衣服の歴史を見ることです。イランの男女の衣服を見れば、過去に生きた人々がどのような格好をしていたかだけでなく、布の織り方やデザイン、その他多くのことを知ることができるでしょう。イランの人々の衣服のモデルは、昔から基本的にそれほど変化していません。時の経過と共に、衣服を時代に沿ったものにしようとする努力が見られてきましたが、概して、ヨーロッパ諸国の人々とは異なっていました。

 

古代から残るペトログリフ、洞窟の壁画は、イランやシリアなど、東洋の社会は、ギリシャやローマの建築の影響を受けながらも、その本来の特徴を守ってきたことが分かります。これらの壁画や彫刻では、人物はほとんどが衣服を身にまとっています。

 

イランの人々は、1万年以上前から文明を有してきました。そのため、人類の多くの功績の根を、この文明の中に見ることができます。たとえば、イラン北部のベフシャフル近くの洞窟では、紀元前7000年のものとされる、糸をつむいだり、編んだりする最古の道具が見つかっています。また、イラン南部フーゼスターン州の古代都市シューシュの最も古い一帯では、穴の開いた針が見つかっており、この地域で服を縫う習慣が広まっていたことを示しています。

 

こうした功績や、その後に起こった別の発明により、イランの衣服や繊維産業は世界でも優れたものとなっています。イランのこの産業は、アジア、中東、アフリカ、中南米の衣服の伝統とともに、非常に豊かなものとなっており、これらの国のデザイナーによってファッション界に紹介され、人気を博しています。また、異なる新しいスタイルとして、西洋や世界中の人々の一般的なスタイルに影響を及ぼし、西洋のファッションや流行に根本的な変化を及ぼしました。