May 12, 2018 14:55 Asia/Tokyo

2018年5月11日(北川・中村)

(北川)さて中村アナ、このところいかがですか、ってざっくりしていますが。最近、よく雨が降りますよね。昨年から今年にかけての冬は、雨や雪が少なくて、一時期は今年の夏、水不足になるのではないか、といわれていましたが。大丈夫そうですね。また、少し暖かくなってきた気がしますが、いかがでしょう。

(中村)真冬に比べるとあたたかいのですが、今年の春は雨や曇りの日が多くて、そのたびに最高気温が25度を下回ります。そうするとコンクリートの家の中はひんやりしますね。外は日の当たるところは暖かいんですけどね。

(北川)そして、日本ではゴールデンウィーク明け、ということですよ。大型連休明けということで、日本のみならず海外にも旅行に行っていた方もいらっしゃるのではないかと思いますが、お仕事の方もいらっしゃったようです。東京都西多摩郡の小野崇夫さんからは、次のようなお便りをいただいています。

●リスナーより

いよいよゴールデンウィークです。しかし、私はカレンダーどおりで、休み中に少し顔を出すようかも。新年度スタートですが、なかなか落ち着かない感じです。

●ラジオより

(北川)中村アナ、基本的に私たちも、イラン暦の連休も出ていますよね。世の中がお休みの中。

(中村)そうですね。放送局の宿命ですね。放送局といえども、生放送の現場以外は祝日はお休みですから、そういうときに出勤すると、建物ががらんとして寂しいですよね。外のお店も日本と違って個人営業のところは祝日は午後お休みになったりしますから、ラジオからの帰り道を歩いていると、シャッターの閉まったお店が多くて寂しいですね。でも、帰宅するとお休みですから親戚が来ていたりして、おもてなしに大忙しになったりします。

 

ハイヤーム廟

 

●リスナーより

IRIBの皆様、ご無沙汰しています。

IRIBのプログラムの中でも、「イランの名声」で紹介されるイランの文豪に興味があります。私は世界各地の文学作品に興味があるのですが、日本で手に入るイラン・ペルシャ文学はオマル・ハイヤームの「ルバイヤート」ぐらいしかありません。紀元前からの長い歴史を持ち、優れた作品もおおいのに、残念なことです。

そこで質問なのですが、IRIBの皆さんの好きなイラン文学は何ですか。また、イラン文学初心者にお勧めしたい作品があったら教えてください。

●ラジオより

(北川)日本で手に入るイラン文学ですが、平凡社の東洋文庫からは、ハーフェズ詩集とサアディーの『薔薇園』の訳本、ネザーミーの『ライラとマジュヌーン』、『七王妃物語』、『ホスローとシーリーン』、カーブースの書を基にした『ペルシア逸話集』、フェルドゥースィーの『王書』が出ています。ルバイヤートはその中でも有名で、訳本がたくさん出ています。お勧めの作品といわれると、なかなか難しいですが、個人的には、日本の俳句にも影響を受けたといわれる現代詩人のソフラーブ・セペフリーの作品をお勧めしたいと思っています。セペフリーの作品は、土曜美術社出版から出ている『現代イラン詩集』にも収められています。そして、イランの児童文学や絵本も日本語に翻訳されていることについても触れたいと思います。さて、中村アナ、お子様に接していた中で、どんな絵本を見かけられましたか?どんな話が印象に残ってますか?

(中村)ペルシア語の絵本と日本の絵本の大きな違いは、全部とは言いませんが、韻を踏んだ耳に心地よい文章が多いことです。リズムがあるので覚えやすいんですね。うちにはたくさんのペルシア語の絵本があるんですが、その中で印象に残っているのは、KadughelghleZanとKhareSusukeの2冊です。KadughelghleZanは日本語で言うと、「かぼちゃでごろごろ、おばあさん」でしょうか。おばあさんが森の向こうにお嫁に行った娘のところを訪ねていこうとして、森のライオンに食べられそうになるのですが、おばあさんの知恵でそれを切り抜けるお話です。大きいカボチャをくりぬいてそれに入ってごろごろ転がりながら帰るんですね。だから、「かぼちゃごろごろ」何です。おばあさんは娘のところに行って、ご飯と水タバコをごちそうになりに行くと書いてありまして、ああ、昔の絵本だなあと思いました。現在出版されているものは「水タバコ」は子供の教育によくないと言うことで削られているのですが、水タバコを吹かしているおばあさんの絵を見ていると、一筋縄ではいかない、人生の経験を積んだおばあさんだと言うことがよく伝わってきます。もうひとつ、KhareSusukeは「カブトムシの女の子」のお話です。Susukというペルシア語はカブトムシやカブトムシなどの固い羽を持つものすべてを指すのですが、一番代表的なものではゴキブリを指すんですね。ですから、児童文学といえども主人公がゴキブリ?と、初めはぎょっとするのですが、まあ、森に住むカブトムシの女の子というところです。その子がおばあちゃんといっしょに住んでいるのですが、おばあちゃんは年をとってしまって女の子は何とか独り立ちしないといけない、で、女の子は「じゃあ遠い町に住むおじさんのところにやっかいになろう」というのですがおばあさんは、居候はいけない、自分の手で稼がないと、と言うんです。虫のおばあさんなんですが、虫のくせに、なかなかいいことを言いますよね。女の子は居候やめて、おじさんのところで働かせてもらおうと旅に出るのですが、そのたびの途中でいろいろ危ない目に遭います。で、その時のセリフが「私はなんてかわいそうなんでしょう。もう生きている価値もないわ」みたいな大人のセリフなんです。そのギャップがおかしくて、ついつい何度も読み直してしまいました。他にもいろんなお話があって、主人が子供に読み聞かせるのを耳を澄ませて聞きました。そういえば、日本の昔話は「むかーし、むかしあるところに」で始まるものが多いのですが、ペルシア語は「Yekibud,Yekinabud. Zireghonbadekabuthichkasnabud」で始まるものが多いんですね。これは意味はあってないようなもので、「たった一人の人がいて、だれもいないころ。青いドームの下にもだれもいないころ」と言うことなんです。だれもいないと言いつつこの後は、「おじいさんとおばあさんが住んでいました」のように続いていきます。とにかくリズムがよくてゆったりしていて、寝る前のお話に最適です。

(北川)そういえば、文学の話に戻りますが、先日、ある機会があって、日本映画の「三度目の殺人」を見たのですが、その中で、吉田鋼太郎さん演じる弁護士が、「中国だったかどこだったかの古い小話で、目の見えない人たちがみんなでに触るっていう話があるんだけど」というせりふを語るんですが、この話、イランの神秘主義詩人モウラヴィーの『精神的マスナヴィー』の中にも同じような話が語られていますね。

(中村)「群盲象を評す」ですか。このお話の発祥はインドと言うことなので、いろいろな国に伝わっていったんでしょうね。

●リスナーより

国土が広いイランでは、懐かしいサマータイム制があるのですね。敗戦後まだ米軍が日本に駐留していて、私がたぶん中学生だったころ、この制度がしばらくあって、ひどく違和感を覚えたことを思い出しました。金曜広場で、とてもしっかりした中学3年生の鈴木みなさんのインタビューを聞いて感心し、心強く思いました。きっと日・イ間親善のかけはしとなって活躍してくれることでしょう。お国では学校の先生の多数が女性だそうですね。孫の勤める小学校でも、4年生になって男性教員がクラス担任となってラッキーだと喜ぶ親が出てくるほど、男性教師の数が少なくなってきました。日本では女性教頭や校長は、特に珍しい現象ではない時代となってきています。

●ラジオより

(北川)もう一度になってしまうのですが、やはり小学校は男子も女子も女性教員が多いんですよね。

(中村)小学校の先生は男子校も女子校も女性の先生がほとんどですね。校長先生クラスになると、男子校は男性の先生ですけれど。ですが、中学校以上になると、男の子は男の先生が教える、というように別れていきますね。やはりある時期を過ぎると男の子をコントロールするのは男の先生の方がいいんでしょうね。同性同士、わかり合える部分もあるのでしょう。小学校も高学年になると、女性の先生では男の子の抑えが効かなくなることもあるようで、あまり言うことを聞かないと校長先生のところへ連れて行かれるそうです。さすがに校長先生は男性ですから、校長室に連れて行くよ、といわれるとべそをかく子もいますね。それでもだめなら、親が呼び出されます。

(北川)また、サマータイム制度、敗戦後にも実施されていたことを初めて知りました。日本では、再導入されるかどうか議論されているのを覚えていますが、イランではいつから実施されていましたか?

(中村)調べてみましたら、革命前、今からだいたい40年くらい前からサマータイムのようなものはあったそうです。革命後、ラフサンジャーニー大統領時代ですから今から30年くらい前に制度として定着しました。その後アフマディネジャード大統領時代に一度廃止になって、その後復活して現在まで続いています。時間が変わるときは間違えないように、学校などに影響のない日が選ばれていますよね。例えば夏時間が始まるのは、ちょうどノウルーズのお休みが始まってすぐですし、夏時間から冬時間に変わるのは新学期が始まる前の日なんです。ですから、もし時間が変わったことにその日は気がつかなくても学校に行くのはつぎの日からだから、そのうち気がつくだろうということです。今はスマホがあってサマータイムになるとすぐにスマホの時間も変わりますから、忘れてしまう人はいないんでしょうけど、スマホのない時代はパソコンのサマータイム時間は何日かずれたりして正確ではなかったんですよね。毎回一人くらいは時間を間違える人が出たものです。

(北川)また、鈴木みなさんのインタビュー、他のリスナーの方々よりも好評いただきました。夢がかなうよう、私たちも願っています。

 

イランの金貨

 

●リスナーより

イランでは金貨は流通・販売していますか。教えてください。

●ラジオより

(北川)金貨の話題について、以前わたしもラジオ日誌があったころにお話しましたが、イランではいくつかの種類の金貨が販売、流通しています。バハールアーザーディー金貨や、イマーミー金貨といったものがそれにあたり、4分の1、2分の1サイズも売られています。中村アナ、こういう金貨は、どういうときに使われるのでしょうか

(中村)結婚式、出産祝い、誕生祝いなどの華やかなお祝い事ですね。それから、イランには「先生の日」という先生に感謝を捧げる日があるのですが、そのときクラスでお金を集めて金貨を贈ることがあります。後は女性のへそくりに金貨を買う人もいます。まあ女性は金貨にしなくてもアクセサリーとして持っていればいつか必要になったときに売ることができるんですけど。一世代前までは、山内一豊の妻じゃありませんが、夫が必要とするときにへそくりの金を売って、夫を助けるというのが妻の鏡だと言われていました。金は確実な財産ですからね。あと一つ、金貨は女性の法的な財産であるメヘリエによく使われます。メヘリエというのは、結婚するときにあらかじめ妻の名義の財産を決める制度で、お見合いの席では双方の家族がメヘリエの額を巡って火花を散らします。男性側は払えないような額を設定されると支払えないし、女性側はメヘリエの額の多さは結婚後の安定と、もしもの時の慰謝料代わりになるものですから双方がエキサイトするのも仕方のないことでしょう。もちろん、離婚の時に請求するものではなく、結婚したらつぎの日から夫に請求できるものですが、ふつうはそういうことはしませんね。むしろ、結婚してすぐに要求されたりしたら、メヘリエ目当ての結婚だったと思ってもいいくらいです。一時はメヘリエの金貨の枚数がとてつもなく高騰していたのですが、あまりに高くなるので政府が100枚くらいまで、と枚数を制限しています。それでも高いですけどね。

 

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