8月 15, 2018 20:51 Asia/Tokyo

今回は、トルコ系民族であるアーザリー人の口承文芸や民俗文化、そして人類学的な特徴、また郷土料理や郷土銘菓についてお話することにいたしましょう。

イランは常に、多数の民族や文化が混在する地域であり続けてきました。これらの民族や文化はいずれも、相互に影響を及ぼしあってきました。

イランには、ファールス族(ペルシア系)、ロル族、アラブ族、トルクメン族、トルコ系アーザリー族など多岐にわたる多様な民族が暮らしており、彼らはそれぞれ独自の習俗や伝統を有しています。しかし、彼らがいずれもイラン人であることは、彼らが共通した倫理を持ち、団結していることの要因となっています。

すでにお話したように、イラン北西部に当たる気候条件のよい山岳地帯、すなわちアーザルバーイジャーン地方の住民の多くは、トルコ系民族に属するアーザリー族です。前回は、この地域の郷土音楽についてご紹介しました。今夜はまず、アーザリー族の間に伝わる口承文芸や民俗文化、そして彼らの人類学的な特徴について詳しくご紹介してまいります。

 

 

 

アーザリー族は、純潔で困難に屈しない不屈の精神と勇敢さを持ち、しっかりした人間関係を築く人々です。また、彼らのそのほかの特徴としては、宗教信仰を守っていること、郷土への情愛、強靭さ、本当の意味での自由主義者であること、そして正直で約束を守ることなどがあげられます。

現代のアーザルバーイジャーン地方の人々が話している言葉は、トルコ系諸語の1つであるアーザリー語、もしくはアゼルバイジャン語として知られており、イランのアーザルバーイジャーン地方のほか周辺の国々などでも使用されています。イラン国内でも、大規模な民族移動が行われた歴史があることから、アーザリー語はイランの複数の州に広まっています。

一部の研究者の間では、現在のアーザルバーイジャーン地方の人々が使用する言語は、歴史的なつながりや源からして、テュルク諸語の南西語群(オグズ語群)に属しているとされています。人類の歴史が始まって間もないころ、この言語は中央アジアや現在のロシアを流れるエニセイ川流域にかけての広大な地域に広まっていました。その後は、トルコ系民族の大移動、そしてトルコ系王朝による長期間の統治支配により、さらに広い地域に拡大しました。

 

アーザルバーイジャーン地方の口承文芸を含めた民俗文学も、アーザリー族の歴史や言語と同様に、悠久の歴史を誇るものです。様々な形式によるこの地域の民俗文学は、喜びや悲しみ、希望、友愛や嫌悪などが様々な形で反映された、人々の努力と趣向の結実といえます。

アーザルバーイジャーン地方の人々は、イランをはじめとする中東の諸民族の中でも、最も豊かな口承文芸を生み出した人々とされています。アーザルバーイジャーン地方を訪れる旅人は誰もが、この地域を詩歌と芸術の地であるとしています。この地域の人々は、ある意味での詩人であり、天変地異や社会現象はもとより、喜ばしい、あるいは忌まわしい出来事に遭遇するたびに、自らの思いや感じるところを詩歌という手段で表現し、折りあるごとに詩を吟じてきたのです。

アーザルバーイジャーン地方で最も優れた詩の形式として、バーヤーティーと呼ばれるものがあります。この種の詩文の内容には、ごく日常的な出来事から、個々人の感情や心のうちの思いといったものが含まれます。アーザリー族の母親は、心に響く子守唄により、わが子を心地よく寝かしつけます。また、彼らが行う結婚式や葬儀も詩歌に始まり、詩歌で終わります。

アーザリー族の農夫は、詩を吟じる事で雨乞いや日照り乞いを行い、自分たちの持つ肥沃な畑や家畜としての牛や馬も、詩で表現します。そして最終的に、詩歌はこの地域の人々の意欲や希望、恐れ、不安、そして生活の歴史を表現しています。

このため、アーザルバーイジャーン地方の人々の口承文化においては、バーヤーティーとして知られる詩は、多岐にわたる内容を含み、非常に幅広いものであることから、簡潔さや美しさ、心に響くデリバリー性の面で第1級とされています。こうした詩歌は、内容の点で人々の願望や苦悩、喜びが表現されているとともに、数百年、そして幾世代にもわたって純粋に、そして清楚な人々の民族性や気質、習俗、信条の詰まった、いわば未公開の書物ともいえるものです。

アーザルバージャーン地方の民俗文学の最も古い例は、各種の詩歌や歌謡であり、これらは日常の労働や雑事に関して謡われます。これらの歌謡はホヴァーラールと呼ばれ、その目的は、専門的な活動に調子を持たせることであり、労働や労働に使う道具について説明しています。また、この地方の口承文芸の最も古いもう1つの例として、日々の生活における儀式に関する歌謡や歌があり、これらのメロディーは普通、特別な折に集団で謡われます。

 

 

それではここで、アーザリー族の接客の習慣についてご紹介することにいたしましょう。アーザルバーイジャーン地方の人々の大きな特徴の1つは、もてなし好きであることであり、この事は旅行家のあらわした旅行記にも詳細に述べられています。

アーザリー族の人々の間では、接待の習慣が非常に重んじられています。来客はどのような社会階層の人であれ、アーザリー族の間では大きな位置づけにあり、彼らの生活用品のすべては来客の接待の方式に基づいて用意されています。彼らは、事前の予約なしでの突然の来客をも接待できる用意を整えています。賓客が家の中に入ってきた後、その家の家族は一家総出で賓客にとって居心地のよいものとなるよう、快適な雰囲気を作ることに努め、また最高の食材を使った料理を出して賓客をもてなそうとします。

その家の主人は普通、豪華なご馳走が出された後、賓客の傍らに座り、次々にメニューを勧め、ご馳走を口に運ぶよう促します。また、休息をとるにも、その家の家族のメンバーは賓客がくつろぐまで待ちます。

アーザリー族の賓客接待の習慣の中でも、アーザルバーイジャーン地方の主要都市タブリーズの人々が出す、賓客用のご馳走の華やかさは特に有名です。彼らの食文化は、この地域の豊かな自然をヒントにしたもので、一部のメニューにはこの地域独自の食材が使われ、タブリーズの郷土料理として観光名物にもなっています。

タブリーズをはじめとする東アーザルバーイジャーン州の郷土料理は、肉をくしに刺して直火であぶるイラン式の焼肉・キャバーブ、ナスやピーマンの中身をくりぬいて、その中にひき肉や野菜などを詰めたドルメ、各種の煮込み料理、スープ、アーシュと呼ばれる豆や野菜のごった煮スープ、炊き込みご飯など、誰もが舌鼓を打つ華やかなメニューで構成されています。特に、大きめの肉団子の一種である郷土料理クーフテは、イラン全国でタブリーズのクーフテとして知られています。

 

タブリーズの郷土料理の一種の肉団子・クーフテ

 

 

 

主要な郷土料理に加えて、東アーザルバーイジャーン州各地で生産される、ナンと呼ばれる各地域独自のパンも非常によく知られています。そうした郷土名産のパンには、しょうがの風味をきかせたザンジャビーリー、サフランの香ばしさのある、円形でふっくらとしたシールマール、東アーザルバーイジャーン州オスクー行政区名物のパンなどがあります。

さらに、このほかにも東アーザルバーイジャーン州の食の名物として、地元で生産されたチーズやヨーグルトドリンク、植物を使用した飲料、各種の酢の物やピクルス、ジャムなどのほか、グラービーイェと呼ばれる郷土銘菓も存在します。こうした郷土銘菓は、イランのほかの地域にも出荷されています。

 

それではここで、タブリーズの郷土銘菓の1つ、グラービーイェをご紹介してまいりましょう。この郷土銘菓は、小麦粉を使わずに、砂糖と卵の白身、ひいて粉にしたアーモンドなどで作られます。また、アーモンドの代わりにクルミやピスタチオを使ったものも生産されています。

 

タブリーズの郷土銘菓グラービーイェ

 

 

しかし、タブリーズや東アーザルバーイジャーン州内のほかの地域の銘柄とされているのは、各種の乾燥ナッツ類の混ぜ合わせや飴、ドライフルーツをおいてほかにはありません。タブリーズ特製の乾燥ナッツ類の混ぜ合わせは、太古の昔から世界的に人気があり、イラン最高の生産物とされています。また、この地域のピスタチオやクルミ、アーモンド、干しモモや干しアンズ、干しプラムといった乾物は、イラン有数の輸出品とされています。

東アーザルバーイジャーン州には、著名な製菓工場が存在することから、この州で作られるキャンディーなどのお菓子は非常に多様性に富んでおり、イラン全国に知れ渡っているとともに、イランの主な輸出品とされています。さらに、タブリーズをはじめとする東アーザルバーイジャーン州の各都市には、美しい手工芸も存在します。これについては、次回に詳しくご紹介することにいたしましょう。

 

次回もどうぞ、お楽しみに。

 

 

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