ことわざ: 「卵泥棒の行く末はラクダ泥棒だ」
昔々、あるところに無邪気な男の子がいました。
昔々、あるところに無邪気な男の子がいました。
この子はまだ幼くて、泥棒とはなにか、どんな行為を泥棒と呼ぶのか、まだ知りませんでした。ところでこの男の子は、卵を使った料理が大好きでした。ある日、目玉焼きが食べたくて仕方がなくなった男の子は、母親に言いました。
「ねぇお母さん、ぼく目玉焼きが食べたい」
母親の答はこうでした。
「ごめんなさい、今卵を切らしてしまって1つもないの。うちのにわとりが次の卵を産むまで待ちましょう」
男の子は、目玉焼きが食べたいのは今なのに、そんなに待っていられないと思いました。そうして、隣の家には立派な鳥小屋があって、そこでは雄鶏と雌鳥が何羽も飼われているのを思い出したのです。さっそく男の子は、隣の家の鳥小屋へと入り込み、手を伸ばして、卵を2、3個つかみとると家に戻りました。
それは暑い時期のお昼過ぎのことで、隣の家の人たちは家の中で昼寝をしていました。ですから誰も、男の子が来たことも、卵が持ち去られたことも気が付きませんでした。男の子は大喜びで家に帰ると、母親に卵を渡して言いました。
「お母さん、ほら卵だよ。これで目玉焼きを作ってね」
母親はちょっと驚いたように言いました。
「あら、この卵、どこから持ってきたの?」
男の子はにこにこと自慢そうに笑って言いました。
「お隣の鳥小屋から」
母親は、このとき、息子にこのように言うべきでした。
「まあ、何て悪いことをしたの。黙ってよそ様のものを持ってくるなんて。これは泥棒です。卵を元の場所に返していらっしゃい」
ところが、母親は息子をしかる代わりに、少し考えてから、こう言いました。
「誰かに見られていないわよね?」
息子は言いました。
「うん、大丈夫だと思う」
母親は優しく言いました。
「さあ、それじゃ、目玉焼きを作ってあげましょう。でも、これだけは覚えておきなさい。隣の人の鳥小屋から卵を盗むなんて、悪いことをしたのよ」
こうして男の子は、近所の人に、自分のしたことを悟られてはいけないのだと理解しました。
次に、また卵を切らしてしまったとき、男の子は、今度はゆっくりと忍び足で、隣の家の鳥小屋に近づき、その家の人に気づかれないよう細心の注意を払いました。そして鳥小屋からいくつかの卵を持ち出すと、急いで家に帰りました。卵を母親に渡したとき、母親は今度も「おうちの人に見られなかった?」と尋ねただけでした。そして優しく言いました。
「あなたのしたことは、良いことではないのよ」
やがて、目玉焼きができあがり、二人は一緒にそれを美味しそうに食べたのでした。
男の子は少しずつ成長していきました。そして時々、盗みをはたらいては、家に持ち帰ったり、自分と同じ年頃の友人と山分けしたりするようになっていました。こうして、彼が背の高い若者に成長したある日、とうとう、その出来事は起こりました。
若者は金持ちの家に入り込んでラクダを盗み、その家の主人と召使たちに捕まえられてしまったのです。彼はまさか自分が捕まるなどと夢にも思っていませんでした。こうして若者はとうとう判事のもとへと連れていかれ、法の裁きにかけられることになってしまいました。
判事は、若者がラクダを盗んだことがはっきりすると、彼に向かってこう宣言しました。「法律では、泥棒の指を切るきまりになっている」
刑の執行人が、若者の指を切るためにやってきました。若者はこらえきれずに叫び声をあげました。
「お願いですから少し待ってくれませんか?母親に会いたいのです」
こうして、若者の母親が連れてこられました。若者は判事に訴えました。
「判事様、もし誰かを処罰すべきとおっしゃるなら、それは私の母親です。母は幼い頃の私の小さな盗みを見逃しました。数個の卵を盗むだけだった私を、プロの泥棒にしてしまったのです」
哀れな母親は自分の犯した罪を認めました。判事の心に、この愚かな若者への同情心が芽生え、代わりに母親を投獄するよう命じたのでした。このときから、もし誰かの小さな過ちが見過ごされて、やがて大きな過ちを犯すようになった場合、こんな風に言われるようになりました。
「卵泥棒の行く末は、ラクダ泥棒だ」