May 27, 2020 13:50 Asia/Tokyo
  • アブーターレブ・キャリーム・カーシャーニー
    アブーターレブ・キャリーム・カーシャーニー

今回も引き続き、アブーターレブ・キャリームについてお話しすることにしましょう。

キャリームはサファヴィー朝時代の詩人で、インド様式の詩の第一人者の一人とみなされています。今回は彼の時代の政治的、社会的な問題がどのように彼の詩に反映されているかを見ていくことにしましょう。

すでにおはなししたように、キャリームはサファヴィー朝のアッバース1世の時代の詩人で、ムガル帝国の皇帝シャー・ジャハーンの宮廷で、「詩人の王」という地位を得ました。また、彼の人物史の主要な部分は埋もれてしまって不明なままとなっています。

キャリームはまた、ほかのサファヴィー朝時代の詩人たちと同じように、インドに渡り、シャー・ジャハーンの宮廷に使え、地位を得ました。彼は1651年ごろ、インド北部のカシミール地方で死去しました。彼の墓は、インドのスリナガルにあります。

また、前回までの番組では、サファヴィー朝の政治的、社会的状況についておはなし、キャリームはそのうち6人の王と同じ時代を生きました。この時代、宮廷で詩や詩人が注目されなかったことから、詩は人々の間から消え去り、文学的な言葉も失われました。また、この時代、多くの詩人がインドなどほかの地域に移住し、ムガル朝など、インドの王朝の宮廷に仕えました。

キャリームの詩は、サファヴィー朝時代の社会を知ることのできる窓のようなものです。キャリームはまた、社会について分析しています。彼はすべての詩の中で、人々の苦しみや問題を代弁しています。腐敗、圧政、人々の権利の蹂躙、支配者の放蕩、社会の混乱などが、彼の詩の中に記されています。

キャリームが生きていた時代、王が統治を行っており、絶対的な権力を持っていました。キャリームを取り巻く世界は非情で、武力がすべてでしたキャリームは為政者の政策によって生じた状況を理解していました。彼はまた、当時に広がっていた無常の中で、死のみが生きるうえでの問題の唯一の解決法で、死の天使は地上でもっともやさしい存在だと考えていました。

治安の欠如、混乱、詐欺行為の横行、詩人や詩の価値の無視、移住や祖国を離れることは、キャリームが生きていた時代の問題でした。キャリームの詩集の中には様々な社会的な組織が見られ、それを調べることで、当時の政治的、社会的な空気が理解できます。キャリームの詩の内容に注目すると、宗教的組織や政治体制、教育関連組織などが見られます。

キャリームによれば、詩人が宮廷を追われていた彼の時代には、沈黙を守るべきであり、理想をかなえたいと思うのであれば、多くの事柄を知らない不利をする必要がありました。また、キャリームによれば、社会の不正のために、人々は閉じ込められ、誰の助けも期待できないアヒルのような存在だとしています。

キャリームはこの時代に不満を抱いていました。なぜならイランでは彼の言葉を傾聴するものはいなかったからです。彼は当時、詩人に対して厳しい時代を生きていました。彼の観点では、イランで詩人の言葉が支持されないのは、その詩人の言葉が無価値なのではなく、むしろ言葉を知るものがいないということになります。

キャリームは詩の中で、自分の時代について描いており、その中では、くだらないものが最も高く持ち上げられていたとしています。おろかな嘘つきが最も高い地位に着き、思想家らは苦しみ、故郷を捨てていました。キャリームの時代、偏った人々や有名なうわべだけの人々が、多くの詩人や学者に圧力を加えようとしており、このため、キャリームは「故郷に安楽な環境はない」としています。

キャリームの詩から、どのような人物が地位を有していたかについてうかがうことができます。権力の上層部にいた者たちは、敬虔深さを主張しながら、罪や腐敗にまみれており、ほかの人々の生命や財産は自分のものだと考えていました。彼らの思考や行動は、キャリームの詩の内容における重要なもののひとつです。これらの人物は宗教的な服装をしていながら、人々に危害を加え、社会にうわさ話を広めていました。彼らはこういった噂話を用いて、空の星が人間の運命に影響を及ぼすといった、ありえないことを人々に受け入れさせようとしていました。

為政者の政治と、サファヴィー朝の関係者の宗教的な争い、文化的、学術的な中心が衰亡したことにより、この時代、文学的な知識や広い一般的な知識を持っていた詩人は、数えるほどしか存在しませんでした。

キャリームの見解では、無知の広がりにより、矮小で無知な人物は、自身を誰よりも優れた存在と考えており、彼が生きていた時代とは、俗悪なものが幅を利かせていたということです。また、サファヴィー朝時代は芸術家がほとんど注目を受けず、芸術や学問が多くの実りあるものとは考えられませんでした。彼の見解では、芸術の才能を持っていたものは、日々の苦難に見舞われていたということです。

 

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