8日木曜は、イスラム暦1442年サファル月20日にあたり、シーア派3代目イマーム・ホサインとその忠実な教友らが、イラク・カルバラの地で殉教してから40日目のアルバイン(アラビア語で40の意)とされています。
西暦626年1月11日に当たるイスラム暦4年シャアバーン月3日、メディナでイスラムの預言者ムハンマドの一族に、1人の男の子が授けられました。この男の子こそは、後のシーア派3代目イマーム・ホサインだったのです。今回は、この偉人の生誕日に因み、この偉人の位置づけと美徳についてお話することにいたしましょう。
シーア派10代目イマーム・ハーディー「無知な人間は、自らの言葉に苦しめられる」
今回はサッガーハーネ・公共の水飲み場がどういうものなのか、それがイランの人々の間でどのように機能しているのかをお話いたしましょう。
イスラム暦ゼルカアダ月11日、西暦7月25日は、シーア派8代目イマーム、レザーの生誕日です。
今回は、イランの宗教大学のひとつ、アハレ・ベイト国際大学をご紹介いたしましょう。
イスラム初期の時代には、メディナにやってきたものの、居住場所のなかったイスラム教徒たちは、モスクに身を寄せていました。今回は、この問題についてお話するとともに、後半ではイエメンの首都サヌアにある、アルキャビール大モスクをご紹介することにいたしましょう。
19日日曜は、シーア派8代目イマーム・レザーの殉教日です。 この期間、イラン北東部マシュハドのイマームレザー廟には、イマーム・レザーの殉教日に合わせて多くの巡礼者が訪れ、喪に服しています。この廟は巡礼地であり、心の疲れた人々のよりどころとされてきました。さまざまな年代の人々が、哀悼の意をささげるため、イマームレザー廟を訪れ、イマームレザーの名を唱えます。
公式統計によれば、イラクで行われるシーア派3代目イマーム、ホサインの殉教から40日目のアルバインの行進には、世界各国から、毎年2000万人の巡礼者が参加しているということです。