Pars Today
シーア派3代目イマーム・ホサインの殉教日を追悼する儀式・アーシューラーが28日金曜、イラン全土の各都市や地域、さらに諸国において、多数の人々が参加し大規模に実施されました。
今回はイランの文化と、シーア派3代目イマームホサインのカルバラの蜂起との関係についてお話しすることにいたしましょう。
今年の西暦2023年7月20日は、イラン暦で1402年ティール月29日、イスラム暦で1445年ムハッラム月2日にあたります。
イラク南部カルバラーにあるシーア派3代目イマーム・ホサインの聖廟において、同イマームが殉教したイスラム暦モハッラム月の到来に際し、数千人の巡礼者の参加のもと、この聖廟のドームに掲揚されている赤旗を黒旗に替える式典が実施されました。
西暦680年にあたるイスラム暦61年モハッラム月2日、イスラムの預言者ムハンマドの孫で、シーア派3代目イマームであったホサインは、家族や教友たちとともに、現在のイラク南部のカルバラの地に着きました。
アラブの人々は、イスラムが出現する前から、モハッラム月を尊重し、この月の戦争や流血は禁じられていました。
イスラム暦モハッラム月・9日タースーア(アラビア語で数字の9の意)と10日アーシューラー(アラビア語で数字の10)の日の到来を目前に控え、イランをはじめとするイスラム諸国は、追悼ムード一色となり、様々な追悼儀式が盛大に開催されています。
イスラム暦61年、西暦680年、シーア派3代目イマーム、ホサインは、ウマイヤ朝の圧制的な為政者であったヤズィードに忠誠を誓うことを拒みました。
イスラム暦モハッラム月の追悼行事アーシューラーにちなみ、歌手ファルハード・ヌールザードによる「葦笛の書」をお聴きください。
イスラム暦モハッラム月9日は、シーア派3代目イマーム、ホサインが殉教する前日で、タースーアーと呼ばれています。