歴史の一葉;ムハッラム月2日
(last modified Thu, 20 Jul 2023 06:55:00 GMT )
7月 20, 2023 15:55 Asia/Tokyo
  • ムハッラム月2日にイマームホサインは家族や仲間とともにカルバラの地に到着した。
    ムハッラム月2日にイマームホサインは家族や仲間とともにカルバラの地に到着した。

今年の西暦2023年7月20日は、イラン暦で1402年ティール月29日、イスラム暦で1445年ムハッラム月2日にあたります。

1384年前のイスラム暦61年ムハッラム月2日には、次のような出来事がありました:

イスラムの預言者の孫であるシーア派3代目イマームホサインは、家族や仲間とともにこの日、現在のイラク中部に位置するカルバラの地に到着しました。

イマームホサインは当時、ウマイヤ朝のヤズィードによる圧政的かつ不当な統治に抗議してそのカリフ即位の承認を拒否し続けており、圧力から逃れる形でメディナからメッカへ移り、その後、イマームホサインへの忠誠の意志を示したクーファの街へと向かいました。

しかしクーファの人々は、イマームホサインの蜂起を支持して彼を招いたものの、ヤズィードの統治への恐れや、クーファに新たに派遣された支配者の買収により、イマームホサインへの支援から手を引きました。

イマームホサインらは、ホッルという人物が指揮するクーファの軍がカルバラからの移動を阻止したためにこの地に足止めされ、8日後にカルバラの戦いが起きることになりました。しかし、ホッルがイマームホサインの蜂起の際に悔い改めて彼の側に付いたことは、注目に値します。

 


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