心地よいイランの家屋での温かなもてなし;旅行記『イラン人の間で』から(第一部)
(last modified Wed, 03 Jul 2024 06:40:08 GMT )
7月 03, 2024 15:40 Asia/Tokyo
  • 心地よいイランの家屋での温かなもてなし
    心地よいイランの家屋での温かなもてなし

ソフィア・A・コウトラキ氏は自身の旅行記の中で、イランでは人々が常に客人に最上のものを用意しようと考えており、年長者や客人への敬意を非常に重要視していると記しています。               

イランを旅行する多くの観光客は、この国を「文化、自然、社会が美しさを持つ国」と受け止めます。 ギリシャ出身のコウトラキ氏は、イスラム革命後の1989年6月にイランを訪問した外国人の一人でした。アテネ大学で英語と英文学を学び、イギリスのカーディフ大学で言語学の博士号を取得した同氏は、自身のイラン旅行を『イラン人の間で(Among the Iranians)』という本にまとめました。パールストゥデイのこの記事では、同氏の自著での記述を引用してイランの文化および習慣を紹介していきます。

 

初めてのイラン訪問

テヘラン市の壮観な風景


コウトラキ氏は次のように記しています;

私は、1989年に初めてイランを訪問した時、別世界に足を踏み入れたような気持ちになりました。私はこの訪問の数年前から何人ものイラン人と知り合いになり、イラン人男性と結婚したのですが、この国を間近で見たことはそれまでありませんでした。私の夫ホセインの実家は、テヘラン州で最も古い地域の一つ、レイ市にありました。レイは、著名な複数のイラン旅行記にその名前が挙げられ、宗教的史跡の一つであるシャー・アブドゥルアズィーム廟もこの街にあります。夫の実家に着いた際、私は皆と同じようにするよう注意を払ったため、間違った行動を取ることはありませんでした。

 

衛生的なイランの住居

また、次のように記しています;

イランの住居について、私が興味深く感じたことをお話ししたいと思います。イランの家屋には昔からトイレが備わっています。トイレは、古い家では家から最も離れた中庭の角に設置されていますが、そこに入る人は皆、専用のサンダルを使う必要があります。家に住む人々はそれぞれが自分用のサンダルを持っており、トイレから出た後は自分用のサンダルで家まで戻り、屋内へはそのサンダルも脱いで上がります。

現代の新しい家屋は、ほとんどが集合住宅で中庭がないため、トイレは家の中に作られていますが、そこでもトイレ専用のサンダルがあり、それを外で履くことはありません。このように、イランの住居は常に清潔に保たれています。洋式のトイレは大抵の場合、浴室内部に浴槽やシャワーと並べて設置されています。

 

イラン住居の整った居間


イランの人々が家の中で靴を脱ぐ理由の一つは、戸外の路上の汚れが室内に持ち込まれることを嫌うためです。室内に敷かれる絨毯は、家族がその上で体を伸ばしたり、食事をしたり、なにより日々の礼拝を行うため、清潔に保たれる必要があるのです。イランの住居には、客人をもてなすのには使われない私的な空間として、英語の「hall」にあたる居間が存在します。

 

家族の団欒は昔から続くイラン人の伝統

 

常に敬意を払われる客人

私にとって興味深かった別の事柄は、イランの人々が常に客人に最上のものを用意しようと考えていることです。彼らは、年長者や客人に敬意を払うことを非常に重要視し、年少者やもてなす側は彼らの前で座る時、足を伸ばさないようにします。

 

家庭を取り仕切るイラン女性

イランの家庭における仕事の配分について話すとすれば、イギリスでは家は男性が指令を下す城塞であるのに対し、イランでは女性が取り仕切る空間になっていると言えるでしょう。家庭の主婦が老齢であれば、家族は全員でその仕事を手助けします。息子たちは日々の買い出しをし、娘たちは家事を手伝い、力仕事は男性たちが引き受けます。

イランで家庭を取り仕切るのは女性


 

イラン家屋の中庭

コウトラキ氏はさらに、次のように記しています;

イランの人々は、中庭も住居の一部であり、屋内と同じように清潔に整えるべきだと考えています。特に、ほとんどの住居が「ヴィラ」と呼ばれる中庭付きの低層住宅だった時代、人々の多くは​​庭で様々な事を行っていました。

 

イラン家屋の中庭の様子

 

暑い季節においてさえも、イランの人々は皆で庭に集まったり、蚊帳を吊るしてその中で眠ったりしました。古い伝統的な住居では、中庭中央に貯め池が設けられ、独特の景観を醸し出していました。貯め池はイラン人の精神と結びついており、現在でも建物の配管は貯め池を設置できるようになっています。彼らはそれを、家族の心の清らかさや安息の象徴と考えているのです。

 

 


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