石油タンカーをめぐる海上戦:イランは米英イスラエルをどのように打ち負かしたか?
公海で先日、イランとシオニスト政権イスラエルの間の静かながらも影響力を持った戦いが繰り広げられました。イランは、自国の石油タンカーをシオニスト政権が秘密理に攻撃したことから、海上での非公式な戦闘状態に入りましたが、これは最終的に、国際的な場でイランの高い抑止力を見せつけることとなりました。
【ParsTodayイラン】イランの石油を運ぶ複数の巨大なタンカーが、公海の真ん中で秘密理に攻撃を企む敵の影に気づかずにゆっくりと航海している中、突然次から次へと急襲されたところを想像してみてください。
イランの石油タンカー14隻はこのように襲われましたが、この攻撃の裏にいる者の正体は当初、誰にも分かりませんでした。しかしイラン・イスラム革命防衛隊は即座に、この事件の加害者の痕跡を見つけ出すための行動を開始しました。
革命防衛隊は捜索の後ほどなく、この攻撃がイスラエル政権により行われたことを突き止めました。同政権は、複雑な秘密理の戦術を用いてイランの石油輸出を阻もうとしており、同国を経済的に困難な状況に追い込むことも思い描いていたようでした。しかしそれは一方的な妄想あり、イランはこの攻撃に対し、迅速かつ厳しく対処しました。
革命防衛隊の反撃は、イスラエル政権の石油タンカーへの攻撃という形で行われました。同政権の船舶が次々と標的にされていく中、決定的な瞬間が訪れました。イランが5隻目のイスラエル船舶を攻撃した時にこの戦いの潮目が変わり、イスラエル側が撤退を始めたのです。タンカーをめぐる戦いは、このように終幕しました。
石油タンカーをめぐる出来事は、これだけにとどまりません。2019年には、イランの石油タンカー1隻がジブラルタル海峡でイギリスにより拿捕されたことがありました。しかし、イランがこれに素早く反応してイギリス船籍の石油タンカー、ステナ・インペロ号を拿捕したため、イギリス側はイランのタンカーを解放せざるを得なくなりました。同様の出来事は、2022年にもギリシャ沖でも起きましたが、イランが自国船籍のタンカー2隻の拿捕後にギリシャ船籍のタンカー2隻を拿捕したため、相手側はここでも退くこととなりました。
このような出来事の中でも最たるものは、アメリカがベネズエラに向かうイラン船籍の石油タンカーを拿捕すると脅迫した事例でしょう。革命防衛隊のサラーミー総司令官はこの時、同隊海上部隊のタングスィーリー司令官を伴って個人的に現場に急行し、アメリカのタンカーを拿捕すべく、模擬作戦を計画しました。そして無線を使い、アメリカのタンカーを拿捕する準備が整ったことを表明しました。結果として、イランがどれだけ真剣かを確信したアメリカは、この脅しを実行に移すことをあきらめ、イランのタンカーは、完全な安全の下に目的地にたどり着くことができました。
しかしこれらの出来事は、より大きな戦いの一部にすぎないと言えます。イランはこれらの戦いにおいて、公然・非公然の敵の脅威に対峙し、賢明さと粘り強さで自国の海運の安全を確保してきました。今回の出来事では、海も静かな戦場となり得ることが示されましたが、このような戦いでは終始、意志の力および粘り強さが物を言う結果となっています。
今回の記事は、サラーミー総司令官が革命防衛隊傘下のハータモル・アンビヤー建設公社の幹部と大統領との会談において、石油タンカーをめぐる戦いや、制裁およびアメリカ、イスラエル政権、イギリスによる脅威への対処をはじめとした近年のイランの課題と抵抗について説明した内容に基づいたものです。