歴史都市シューシュタル
(last modified Sun, 04 Sep 2016 12:33:24 GMT )
9月 04, 2016 21:33 Asia/Tokyo

歴史都市のシューシュタルは、イラン南西部フーゼスターン州の北部に位置しています。

シューシュタルには、北にバフティーヤーリー山脈、南にフーゼスターン州の州都アフワーズがあります。この歴史的な都市はカールーン川の支流の間に位置する幅2メートル、長さ8キロの島にあります。

イマームの一族・アブドッラーの廟

 

シューシュタルの歴史

フランスの考古学者ギルシュマンは、シューシュタル周辺の洞窟をイランで最初の人間の居住地だとして、シューシュタルの歴史はおよそ1万年前にさかのぼるとしました。

ドイツのエラム史研究者のヒンツは、著作の中で、今日のシューシュタルはエラム人が居住していた場所とまさに同じ可能性があるとしました。

シューシュタルから南西5キロの地点で行われている発掘調査では、この地域はマケドニアのアレクサンダー大王の死後、エリマイス王国に占領されたということが明らかになりました。

 

シューシュタルをフーゼスターン州でもっとも魅力的な町としているのは、中心部に流れる水の存在です。考古学者は、アケメネス朝時代、農業に依存していた経済により、シューシュタルの水利施設の基盤が作られたと推定しています。

アケメネス朝の後、サーサーン朝がこの地を大きく変え、他に類を見ない灌漑施設をこの地に作りました。この水利施設の周囲には、一連のダムやトンネル、水車や運河などがあります。

この水利施設は農業用に建設されましたが、農業により、産業や商業、さらには防衛、建築面での目的も容易に達成されました。シューシュタルには数十の水車が作られ、イスラム革命前まで、もっとも大きな産業地帯とみなされていました。

シューシュタルのジャーメ・モスク

 

シューシュタルは、郊外の川も防衛用の堀として利用していました。このため、シューシュタルは歴史のある時期において難攻不落とされてきたのです。

この地のギャルギャル河は、航行が可能で、商業用に利用されて来ました。シューシュタルの文化遺産局のインターネットサイトでは、この地のダムや橋が、広いカールーン川を渡る数少ない手段として挙げられおり、歴史的な「王の道」も、この橋を通過していたと考えられています。

一部の歴史家は、シューシュとシューシュタルの街はサーサーン朝の王ヤズデゲルドの妻シューシンドフトによって建てられたと考えています。

ギャルギャル運河に架かる橋は、この運河をせき止める水利施設の上に建てられており、今日のダムのような機能を果たしています。また、水はトンネルによって水利施設に流れています。この橋は、サファヴィー朝時代に建設されたとされています。

カールーン川の支流、シャティート川に架かるシャードラワーン橋は、シューシュタルの水利施設の最も重要なものの一部です。この橋もイランの国家遺産として登録されています。
この橋の歴史は、サーサーン朝の王シャープールの時代にさかのぼるといわれ、資料から、シャープールの時代に設計・建設されたと考えられています。

 

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