イスラム革命の40年間の抵抗
1979年2月、イランの歴史が大きく変化しました。この変化は、政治アナリストや政治家を驚かせることになりました。
イスラム革命の勝利は、イランにおけるアメリカの支配を終わらせ、イランの国民の将来を独立を伴う新たな方向へと導きました。
この大きな変化により、アメリカとその同盟者が、イランの新たなイスラム体制に対抗するため、あらゆる陰謀を企てました。
しかし、西側の陰謀は戦争の時期でも、その後の敵対行為の中でも、イランを西側の支配の中心に戻すことはできなかったのです。
イラン・イスラム革命最高指導者のハーメネイー師の言葉によれば、多くの問題は、イスラム体制の力を示すものだということです。つまり、イスラム体制が強い力と影響力を持っていなかったなら、イランに悪意を抱く者は、困惑しあらゆる危険な行動に出ることはなかったのです。
現在、イスラム革命の勝利から40年がたっていますが、この革命は今なお、独立と栄誉を求める目覚めた国民にとって、多くの魅力があります。アメリカの言語学者で著名な思想家のチョムスキー氏は、「アメリカと西側のイランに対する敵意や陰謀は、イランが独立し、西側の支配に依存しないことが理由だ」と語っています。チョムスキー氏は次のように述べています。
「イランが独立を維持し、アメリカの支配に屈しない限り、アメリカの敵対行為と反対は続くだろう。イランはアメリカからすれば、容認しがたい国であり、それは自国の独立を無視しないからだ」
イランは初めてイスラムの教えによる成功した革命を世界に示しました。「イスラムの目覚め」国際フォーラムのヴェラーヤティ事務局長は、次のように語りました。
「現在、イスラムの恩恵と価値により、地域において明らかな形でイスラムの目覚めがうかがえる。世界の圧政者に対する嫌悪と抗議の声は、地域におけるイスラムの目覚めの、最初の成果だ。預言者ムハンマドの純粋なイスラムとイスラムの価値に立ち返ることで自身を省みることは、唯一の問題の解決法だ。」
イスラム革命は、国際体制と現代世界の状況を揺るがし、根本的に変え、国際的な関係と国際体制を支配する不公正な基準や規則を脅かしました。ハーメネイー師は学生との会談で、次のように語りました。
「覇権主義体制は、2つの世界的な極を持つ、一つの体制を意味する。そのひとつの極とは支配する側であり、もう一方は支配される側だ」
ハーメネイー師はまた、第12期イラン大統領の信任式で、次のように語りました。
「国の若者と新たな世代は、革命以前の時代を見てないが、体制における人々の役割は、偉大な成果である。イスラム革命創始者のホメイニー師は、大勢の国民を動かすことで、外国に支配され、干渉を受けた王政を終わらせ、国と国民の方向性を変えることができた。」
ハーメネイー師はこの数年の策略に触れ、次のように述べました。
「この数年、アメリカの現在の体制責任者など、一部は明らかにイラン国民と敵対しており、また、一部の策略は表に出ないように密かに行われた。しかし、これらのすべての計画により、イランの国民と体制責任者の自信は増すことになり、敵の策略に対する対抗策を見出した」
イスラム革命の勝利は、いくつかの理由により、覇権主義大国を後退させました。この革命は、何よりも、国民が何も持たなくても、大国と渡り合う中で、大きな変化の発生源になることができるということを示しました。
アメリカは、イスラム革命の当初から、策略により、イスラム革命を滅ぼそうとしました。17の策略が革命当初からイランに対して実行されています。3回のクーデター、5回の民族対立の扇動、体制責任者へのテロのために4つのテロ組織を結成したこと、2回の戦争、3回の騒乱といった策略が、イランに対して行われたのです。
これらの陰謀にもかかわらず、中東の変化の流れの中心に、人々の抵抗があり、この変化の結果は、アメリカとその地域の支援者の連続的な失敗にうかがうことができます。
イランでは科学技術に関して積極的な活動が行われています。国連貿易開発会議の報告によりますと、イランはこの数十年で、特に基礎科学や技術の分野における教育の強化に力を入れています。
開発指標のグローバル・イノベーション・インデックスによれば、2014年、工学部門などで学位を得たイラン人は、卒業生のほぼ半数だとしています。これはブラジル、マレーシア、トルコといった国よりも高い割合を示しています。実際、イランは工学分野などで学位を取った学生の割合で、世界2位となっています。
ハーメネイー師は、学術的に優れた数百人の若いエリートとの会談で、科学技術の発展は国の力強さの土台であるとして、このように語りました。
「われわれの国は、科学技術に関して輝かしい歴史を持っているが、残念ながら、外国の支配下にあった時代、科学技術を無視したことで遅れており、この遅れは取り戻されなければならない」
2000年の第3次国家開発計画の実施から、イランは再び科学技術の発展の波に乗ることになりました。この中で、学校や大学、サイエンスパークなどのインフラ開発に向けた絶え間ない努力が行われています。イランのサイエンスパークの数は、2016年10月には39に達し、一方で、2002年は1つしか存在しませんでした。
2014年から2016年の発明に関する世界の指標のランキングを伝えた国連貿易開発会議の報告では、イランは、2014年に世界120位だったのが、2016年には78位となり、42も順位を上げました。
ハーメネイー師は、2年前、ナノ科学やES細胞、核エネルギーに関するイランの科学技術の発展に触れ、「この成果は疑いようがない」と語りました。ハーメネイー師は大学生の集団との会合で、次のように強調しました。
「ナノ科学やES細胞、核エネルギーに関するイランの驚くべき科学技術の発展は、疑いようがないものであり、全世界が知っている事実だ」
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