ドキュメンタリー・イラン(4);南西部シューシュの城砦とアーパーダーナー宮殿(日本語のナレーション付)
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南西部シューシュの城砦とアーパーダーナー宮殿
4回目となる今回は、イランの2つの史跡・シューシュの城砦と、アーパーダーナー宮殿をご紹介してまいりましょう。
シューシュの城砦とアーパーダーナー宮殿
一見すると、これはフランスのバスチーユ監獄に似ています。この建物の建築構造は、中世ヨーロッパの様式に似ていますが、ここはフランスではなく、実はイラン南西部フーゼスターン州シューシュ行政区にある、シューシュ城砦です。
19世紀から20世紀にかけてのフランスの考古学者ジャック・ド・モルガンは、調査・発掘のためシューシュを訪れました。彼は、フランス政府に対し、考古学調査発掘調査隊のために、安全で適切な滞在場所を設けるよう、フランス政府に要請します。このため、この調査隊の滞在場所にシューシュ地区の最も高台とされるアクロポリス地区が選ばれ、中世ヨーロッパの建築様式による砦が建設されました。
この城砦は台形となっており、小さな砦が北側に立っており、その周囲を回廊が取り囲んでいます。
この城砦の見所として、ヨーロッパの帽子とも称されるガラス張りの小さな室と、鳩の巣作り用の穴が沢山ある塔があげられます。北西側に立っている塔は角柱で、北東側に立っている塔は円柱状です。
アーパーダーナー宮殿の建物はレンガでできており、チョガーザンビルのジックラトの建物に使われている楔形文字が彫刻されています。
シューシュの城砦のやや向こう側には、数本の柱のみが残っており、ここがアーパーダーナー宮殿です。ここは、アケメスス朝時代の冬営地であり、紀元前521年から515年にかけて、ダーリウーシュ大王の命により建設されました。
この宮殿の総面積は、1万434平方メートルあり、柱のアルテラスが北側、西側、東側に設けられています。
今日では、アーパーダーナー宮殿の一部のみが残存しているとはいえ、この石造りの柱やそこに刻まれている彫刻からは、当時のこの建物の壮観さが見て取れます。
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