視点: 化学兵器のすべての犠牲者へ
(last modified Mon, 29 Jun 2020 10:00:46 GMT )
6月 29, 2020 19:00 Asia/Tokyo
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    視点: 化学兵器のすべての犠牲者へ

イランは化学兵器の犠牲者です。 しかし、サッダーム政権を支援した政府が、国際社会を前に自らの不名誉な行動への謝罪を迫られる日もそう遠くはありません。

6月28日日曜、イラン西部サルダシュトへの化学爆弾による悲惨な空爆から33周年を迎えました。

1987年6月28日、イラクバース党政権イランの国境の町サルダシュト化学爆弾を投下しました。 この攻撃により、110人が殉教し、8000人以上が化学薬品により負傷しました。当時のイラク大統領だったサッダームは、イランに押し付けた1980年代のイラン・イラク戦争において、250回以上にわたり化学兵器を使用し、その結果、8000人が殉教し、10万7000人が負傷したのです。

28日、この痛ましい記念日に化学兵器の犠牲者全員を祈念し、テヘランで「化学的防衛」と題する会議が開催されました。

数多くの政府と企業が、1980~88年、サッダーム政権が化学兵器を装備することに関与していました。一方、ドイツ検察庁が複数のドイツ企業に対し、「化学爆弾の製造目的でイラクに化学薬品を送付・提供したことは犯罪」と発表したのは、イラク侵略政権が大々的に化学兵器を使用した戦争の最終年のことでした。しかし、この非人道的な犯罪は、単に関税法への違反として対処され、イラク政権に必要な資材、設備、技術を提供していた主要なドイツ企業の名前が明らかにされることはありませんでした。

フェルナンド・アリアス事務局長

OPCW化学兵器禁止機関のフェルナンド・アリアス事務局長は、サッダーム政権によるサルダシュトへの化学兵器攻撃記念日に寄せたメッセージの中で、化学兵器攻撃の犠牲者の家族に深い哀悼の意を表すとともに、「 この点で、サルダシュト市民とすべての犠牲者、そしてその子孫の方々は我々に対する権利がある」と語りました。

さまざまな文書や国際法の規定の形で採択された国際条約は、化学兵器の使用を禁止しています。 しかし、国際法だけでこれらの要求を満たすことができるのか?という問題がいつも提起されます。

第二次世界大戦の後、1925年のジュネーブ議定書を皮切りに、化学兵器の使用を禁止する数多くの議定書や条約が締結されました。この取り組みに続き、化学兵器の使用禁止に関するCWC条約が、20年間の交渉期間を経て、1992年9月3日に採択され、その後、192カ国が加盟するOPCW化学兵器禁止機関が、「化学兵器のない世界を実現するための協力」をスローガンに、1997年に発足しました。 これらの条約を批准しているにもかかわらず、米国を含む一部諸国は、自身の義務を未だ果たすには至っていません。

テヘランで開かれた会議の声明は、実際にはこれらの厳しい現実の一部を反映すると同時に、殉教者、傷痍軍人、化学兵器犠牲者の家族、遺族の権利の追求、及びこれらの犯罪加害者の訴追に重点を置いています。 イランや世界中の平和を求める人々、そして大量殺りく兵器に反対する活動家たちは長年にわたり、化学兵器による負傷者や犠牲者の平和のメッセージをさまざまな手段で世界の隅々にまで伝えようと努力してきました。

そしてテヘランで開かれた「科学的防衛」全国会議もまさにこの目的で開催されたものなのです。

 

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