メッカ巡礼式の到来に際してのイラン最高指導者のメッセージ
(last modified Thu, 30 Jul 2020 11:31:52 GMT )
7月 30, 2020 20:31 Asia/Tokyo
  • メッカ巡礼式の到来に際してのイラン最高指導者のメッセージ
    メッカ巡礼式の到来に際してのイラン最高指導者のメッセージ

イランイスラム革命最高指導者のハーメネイー師が、毎年恒例のメッカ巡礼儀式の到来に当たって、メッセージを発しました。

ハーメネイー師著作集保管・出版事務所のウェブサイトkhamenei.irによりますと今回発信されたメッセージの全文は以下のとおりです。

 

慈悲深く、慈愛あまねき、神の御名において

賞賛は神のみのものである。預言者とその善良で清らかな一門、預言者の善良な教友たちに平安あれ。

イスラム世界の威信と偉大さ、隆盛が常に感じられる、毎年恒例のメッカ巡礼儀式のシーズは今年、メッカにある神の家(カアバ)への巡礼ができずその参拝を渇望し、またメッカにまみえることができず悲嘆にくれる人々の複雑な心境があふれ返っている。人々の心には、メッカのカアバ神殿から遠く離れていることの寂寥の感が渦まき、彼らがカアバ神殿に対して唱える「我は神の御前におり」という文句には、涙と嘆きの声が入り混じっている。だが、メッカ巡礼ができない期間はごく短く、神の意志により長引かれない。だが、このことから学ぶべきものがある。それは、メッカ巡礼の大きな恩恵の有り難味を知ることである。そしてこれは後世にまで残り、それにより我々は怠慢に陥らないようにすべきである。カーバ神殿の聖域と預言者の聖域たる「預言者のモスク」、および彼の後継者(イマームたち)の眠る霊廟の聖域での、多種多様な信者の大集合における、イスラム共同体の偉大さや力の秘密を、我々はこれまで以上に感じ取り、熟考する必要がある。

メッカ巡礼は、ほかに類をみない宗教的義務であり、イスラムの宗教的義務の中でも、極めて重要性が高い。この義務には宗教の持つ歴史的、世界的、かつ個人的、社会的な側面および、現世と来世の要素といったすべての側面が再現されることになるようなものである。その中には精神性があるが、それは決して社会からの隔離や隠棲は存在しない。その中には人々の大集会が存在しているが、衝突や諍い、誹謗中傷や悪意からは乖離している。また、神を思い起こし祈祷することによる精神的な快感がある一方で、集まった人々同士のやり取りや親密的な結びつきが存在している。ハージーと呼ばれるメッカ巡礼者は片目で、カアバ神殿の敷地内に威風堂々と足を踏み入れるイスラムの預言者ムハンマド、預言者イブラーヒムとその息子のイスマイールや妻のハージャル、自らと歴史との結びつきを、またもう片方の目では、互いを助け合い、集団で神との絆に頼っている信者たちの大群衆を目の当たりにすることになる。

メッカ巡礼という一大出来事について考えることで、メッカ巡礼の実行者は人類にとっての宗教の理念や理想が、宗教を持つ人々が心を1つにし、集団で助け合い協力し力を合わせなければ成就せず、またこうした心と行動面の一致・協力が芽生えることで、敵や反対の陰謀がこの道に重大な支障をきたすことはない、ということを確信する。

メッカ巡礼は、弱者いじめや略奪、暴虐圧制や腐敗の中心となっている覇権主義者に対する力のの顕示である。今日、イスラム共同体の肉体と精神は、彼らの暴虐圧制にまみれ苦しんでいる。メッカ巡礼は、イスラム共同体のハードパワーとソフトパワーを顕示している。このことはメッカ巡礼とその精神のありのままの姿、かつメッカ巡礼の最も重要な目的の一部である。これはまさに、イランイスラム共和国の創始者故ホメイニー師が、メッカ巡礼を預言者エブラーヒームが計画した巡礼と呼んだ所以である。また、これゆえに、聖地メッカにある2つの大モスク(マスジェドルハラームおよびマスジェドンナビー)の下僕を自称するメッカ巡礼の管理人が忠実にこれを実行し、アメリカ政府のご機嫌取りではなく神の満足を選ぶならば、イスラム世界の大きな問題をも解決できるのである。

今日では、これまでどおり、またこれまで以上にイスラム共同体に必須の得策は、団結・結束の中に存在している。その団結とは、各種の脅迫や敵対行為に対し手を携えることで結成され、具体的な形を伴って現れる悪魔、侵略者・背信たるアメリカ、そしてその野犬に等しいシオニスト政権イスラエルに対抗して雄叫びを上げ、専横者に対し勇敢に対抗することである。これが意味するものは神の命令である。それは、「あなた方は、神の絆に皆でしっかりと纏まり、分裂してはならない」(コーラン第3章、アール・イムラーン章「イムラーン家」第103節)とされているとおりである。また、イスラム共同体は「不信心者たちには激しく、相互間には優しく親切である(第48章、アル・ファトフ章「勝利」第29節)とされている。また、信者に対する義務として、「不正を行う人を頼りにしてはならない(第11章、フード章「フード」第113節)、「神は不信心者たちが信者たちに対して、成功する道を決して与えられない(第4章、ニサー章「婦人」第141節)、「不信心者の首長たちと戦いなさい」(第9章、アッ・タウバ章「悔い改め」、第12節)、「われの敵であり、またあなたたちの敵である人を友としてはならない(第60章、アル・ムンタヒナ章「試される女性」第1節)などが求められる、さらに、敵を明確化するために「神は、宗教上のことであなた方に戦いをしかけたり、またあなた方を家から追放しなかった人々に善意で接し、公正に待遇することを禁じられない(第60章、アル・ムンタヒナ章第8節)という命令を発している。これらの重要な指示や命令は、我々イスラム教徒の思考・価値観の体系から切り離されたり、忘却されてはならないものである。

今日、これまで以上にこうした根本的な変化の下地が、イスラム共同体のためを思うエリートや改革者の間に整いつつある。今日、イスラム教徒の若者やエリートらが、自らの精神的な財産に注目することを意味するイスラムの覚醒は、もはや否定できない事実である。100年前における西洋文明の最も卓越した贈り物とされたリベラリズム、また50年前の共産主義は完全に色あせ、それらの思想が持つ直しようのない欠陥が明らかになっている。共産主義に基づく体制は完全に崩壊し、リベラリズムに基づく体制も深刻な危機に見舞われ、崩壊寸前の状態にある。そもそも出だしから不面目と卑劣さの絶えなかった西洋文化のモデルのみならず、政治経済的なモデル、すなわち差別的で階級格差をはらんだ民主主義と資本主義もその腐敗した側面をさらけ出しているのである。

今日、イスラム世界のエリートの中にも、西洋の文明面での主張のすべてに堂々と疑問符をつけ、その代替としてイスラムの教えを明示する者が少なくない。ひところにはリベラリズムを歴史の終焉として宣言していた西洋の思想家の一部でさえも、今やその主張を撤回し、学説や行動面で混乱に陥っていることを認めざるを得なくなっている。アメリカの街中や市民に対する同国の政治化の行動、同国での大きな階級間格差、国家の行政運営担当者として選ばれた人物の愚鈍・卑劣さ、恐るべき人種差別、街中で罪なき市民を公衆の面前で拷問にかけて殺害する警察官の冷酷さに目を向ければ、アメリカの経済・政治哲学の無意味さ、西洋文明の社会・道徳面での危機の深刻さが見て取れる。ひいては西洋文明の社会的・モラル的な危機、そして西洋の経済・政治哲学の無効性が明らかになる。弱小国の国民に対するアメリカの態度は、武器を持たない黒人市民の首をひざで押さえつけて惨殺した、同国の一警察官の行動の拡大版である。そのほかの西側諸国の政府も、それなりの規模や程度でこうした悲惨な現状の実例となっている。

預言者エブラーヒームが創始したメッカ巡礼は、こうした現代の無明に対するイスラムの華々しい出来事の1つであり、これはイスラムへのいざないであるとともに、イスラム社会の環境・生活の象徴的な情景を映し出している。この社会ではカアバ神殿の周囲を回る中での信徒たちの共存が最も明白なしるしとなっている。また、反目や争いごと、差別や階級特権、腐敗はなく、条件が必要である。また、この儀式では悪魔の偶像への投石、多神教徒への嫌悪表明、下層民との混合、恵まれない人々への助力、信徒としてのスローガンの掲示が主な責務となっている。そして公共の利益を獲得する、神を思い起こすこと、神に感謝し、従うことは、中途的、最終的な目標となっている。これは、メッカ巡礼の儀式に見られるイスラム社会の包括的な光景だといえる。そしてこれを、最良を自称する西洋社会の現実と比較することで、イスラム教徒にはそのようなイスラム社会を達成するための努力や奮闘への意欲がわいてくることになる。

我々イラン国民は、故ホメイニー師の主導により、こうしたカンフル剤を与えられて一歩を踏み出し、成功を収めてきている。自らが認識し好むものを完全に達成できたとは主張しないものの、この道において大きく進歩し、自らの進路から多くの障壁を除去できたと主張している。コーランの約束への信念という恩恵により、我々の歩みはしっかりと根を下ろしている。現代における最大の追剥、詐欺師、悪魔に等しいアメリカ政権は、われ等を脅し自らの欺瞞に服従させて我らの精神的・物的な発展を阻むことはできなかったのである。

我々は、すべてのイスラム教徒の諸国民を自らの同胞とみなし、また反逆的な戦線に足を踏み入れていないイスラム教徒以外の人々に対しては、善良かつ公正に対応している。我々は、イスラム社会の苦難や悲しみを自らの問題として受け止め、その解決に努めている。抑圧されたパレスチナへの支援や被害を受けたイエメンへの同情、そして世界各地で虐げられているイスラム教徒の問題を、常に自分の問題として配慮している。また、一部のイスラム教国の首脳への助言をも自らの義務とみなす。イスラム教徒の同胞に依拠せず敵に助けを求め、短期間自らの私服を肥やすために敵の過剰な要求を呑み、自国民の独立や威信を安売りしている一部の政治家、圧政的な強奪政権であるシオニスト政権の存続を容認し、陰に陽にイスラエルに友好の手を差し伸べている人、こういう輩に対して我々は忠告し、そうした行動による苦い結果が待ち受けていると警告する。西アジア地域におけるアメリカの進出・駐留は、この地域の諸国民に害悪をもたらし、各国の発展の遅れや破壊、情勢不安の元凶となっている。そしてアメリカの現在の出来事や同国での人種差別主義への抗議運動に関しても、我々は米市民に味方し、同国の人種差別的な政府の醜悪な行動を非難するという断固たる立場をとっている。

最後に、シーア派12代目イマーム・マハディー(世界救世主)に平安あれかしと希求するとともに、故ホメイニー師を偲び、全ての殉教者の清浄なる魂を祝福し、かつ近い将来、万人に認められ安全で祝福されたメッカ巡礼が、神からイスラム共同体に委ねられることを切に願って、本メッセージを締めくくることとする。

セイエド・アリー・ハーメネイー

2020年7月28日

 

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