「ホッラムシャフル」とは?
ホッラムシャフルは、イラン南西部フーゼスターン州の歴史ある港湾都市です。
この港湾都市は国際都市であったことから、1977年には日本総領事館が開設されていました。しかし、1980年代のイラン・イラク戦争の開始直後には戦略的な標的として、イラクの旧サッダーム独裁政権から目をつけられることとなりました。
ホッラムシャフルの占領は、サッダーム政権にとって戦争の勝利の鍵を握る存在に等しく、侵略者たるこの政権の次の目的にとって、戦略的な重要性を有していました。このため、サッダーム軍はイランの民兵の勇敢な抵抗から34日目に、全力をかけてホッラムシャフルの港を占領し、これを戦争における彼らの次の勝利の足がかりとしました。
イラクの旧独裁者サッダーム・フセインは、もしイランがホッラムシャフルをイラクから奪還ができたら、イラクの港湾都市バスラをイランに与えると約束しました。
ホッラムシャフルは、1982年5月24日にイラン軍により奪回、解放されています。
ホッラムシャフルが占領されていたのはわずか19ヶ月で、フーゼスターン州奪回を目指してのベイトルモガッダス作戦は、イラクの政権の支援者や敵の軍事的な計画を打ち破り、イラン・イラク戦争の運命に新たな状況を生じさせました。侵略者はこの作戦で手痛い敗北を喫した後、それを挽回しようと、別の道から侵略を続けました。
ホッラムシャフルは、現在のイランでは英雄的な町とみなされ、今なお戦争の爪痕は深く残っていますが、石油産業が再興しています。
今日、ホッラムシャフル解放記念日は敵に対するイラン国民の抵抗を思い起こす日です。ホッラムシャフルの解放は実際、困難の中での忍耐と、頂点に達するための抵抗の結果だといえるでしょう。