建築家・磯崎新さん死去 イラン都市計画にも参加
世界的な建築家・磯崎新さんが、28日に老衰のため亡くなったことがわかりました。91歳でした。
磯崎さんは1931年、大分県出身。1954年に東京大学工学部建築学科を卒業。1960年に丹下健三の事務所に入り、黒川紀章らとともに指導を受けます。
1963年に独立し、磯崎新アトリエを設立。その後、北九州市立美術館、つくばセンタービル、ロサンゼルス現代美術館などを手掛け、国内外で活躍しました。
1986年には東京都庁舎のコンペに参加。最終的に採用された師の丹下健三案をはじめ、参加者が軒並み超高層建築を提案する中、100メートルに満たない低層建築を提案したことは、いまも語り草となっています。
近年では、迷走した国立競技場の建て替え問題について声明を発表。当初内定していたザハ・ハディド氏の案を、その芸術性や国際コンペでの選出過程の正当性を理由に支持しつつも、予算超過や周辺への環境影響が考慮されていなかったことにも理解を示し、建て替えを撤回した上で、五輪開閉式を皇居前広場で行うことを提案しました。
磯崎さんはイランとも縁のあった建築家でした。1973年、丹下健三と米国の建築家ルイス・カーンの2人が、当時のイラン王政から首都テヘランの新都心計画をまとめるよう依頼されます。
しかし、翌年にカーンが心臓発作で急死したため、磯崎さんがその跡を継ぎ、計画をまとめ上げました。
この計画は、その後イスラム革命が起きたことにより実現しませんでしたが、磯崎さんはイランへの関心を持ち続けていました。
2016年のウェブ上の対談では、次の表現場所としてイランを挙げ、かつてイランで教鞭をとった哲学者・井筒俊彦からイスラム建築について説明を受けたエピソードを披露しています。
今年9月にはテヘラン大学でシンポジウム「Art and the Space In-between」が開催されました。これは、磯崎さんが1978年にパリで開催した「間 MA - Space / Time in Japan」展から着想を得たもので、磯崎さんが提唱した日本建築における「間」の可能性について日本・イラン両国の建築家らが議論を行いました。
磯崎さんの、哲学、文化、文学などに対するこうした深い視座は、国内外における建築批評の空間を大いに発展させました。
磯崎さんの葬儀は1月4日、沖縄市県浦添市のいなんせ会館で近親者のみで行われる予定ですが、一般焼香も同日午後4時から受け付けるということです。