トピック: 奈良時代の木簡解読 日本とイランの歴史的関係
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このニュースは2016年に報道された内容の再掲ですが、日本イラン外交関係90周年が終了した今、あらためてお届けします。
(last modified 2025-10-27T01:35:03+00:00 )
1月 15, 2020 14:59 Asia/Tokyo
  • 西暦765年に書かれたとされる古い木簡
    西暦765年に書かれたとされる古い木簡

このニュースは2016年に報道された内容の再掲ですが、日本イラン外交関係90周年が終了した今、あらためてお届けします。

奈良文化財研究所史料研究室の調査により、8世紀に少なくとも一人のペルシア人が日本の平城京にいたことがわかりました。NHKによりますと、奈良文化財研究所が赤外線を利用した調査を行い、西暦765年に書かれたとされる古い木簡の解読に成功しました。

解読された木簡にはペルシア人と思われる名前が見られ、教師もしくは留学生として当時の平城京に滞在していたと推測されています。

この木簡は、50年以上前の1966年に行われた平城宮発掘調査で発見されました。しかし当時の技術では腐蝕部分の解読が難しく、最近になって再調査が行われていました。

日本の史書『続日本紀』の記録では、736年の聖武天皇時代に一人のペルシア人が帰国する遣唐使とともに日本へ渡り、天皇に面会した後、位を授けられたとされています。

奈良文化財研究所の研究者たちは、木簡に記された「破斯清通(はしのきよみち)」という名前が、このペルシア人に与えられた日本名ではないかと推測しています。『続日本紀』にはペルシア人の中国名「李密翳」があるのみで、その日本名は判明していません。

この木簡は、2017年1月から奈良市にある平城宮跡資料館で一般公開されました。奈良は8世紀には平城京が置かれ、日本文化の中心地でした。

イランは7世紀半ばにアラブの攻撃を受けイスラム勢力の統治下に入りましたが、その後一部のイラン人思想家たちが東へ逃れて唐などに移住し、さらに海路を通じて日本へも渡ったと言われています。

 

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