レバノンの見逃せない訪問先、ヒズボッラーの博物館(写真あり)
(last modified Sat, 13 Jul 2024 05:26:50 GMT )
7月 13, 2024 14:26 Asia/Tokyo
  • レバノンの見逃せない訪問先、ヒズボッラーの博物館
    レバノンの見逃せない訪問先、ヒズボッラーの博物館

ムリータ博物館は、レバノン南部の緑深いイクリーム・アル・トッファーフ山岳地帯にある、同国抵抗組織ヒズボッラーが開設した博物館です。

【ParsToday西アジア】ムリータ博物館は、シオニスト政権イスラエルにより1982年にベイルートが侵攻・占領されてから2000年に解放されるまでの間、そして2006年に起きた同政権との 33日間にわたる戦争の間にヒズボッラーの戦士らが示した抵抗を展示する博物館です。ムリータを観光のランドマークにするという計画は2000年、レバノン大学建築学科の一人の学生がイクリーム・アル・トッファーフに抵抗の文化・思想をテーマとした複合施設を作るという発案をしたことから始まりました。そしてその後、数多くの技術者、芸術家、専門家らが計画の実現に協力し、この施設の建設にこぎつけました。

 

開設目的

ムリータ博物館開設の目的は、ヒズボッラー軍の戦士が抵抗の拠点としていた場所を保存し、1982年のベイルート占領以降もレバノンのイスラム抵抗組織がイスラエルに対し示した比類ない足跡を、人々に知ってもらうことにありました。

 

名称の由来

古典シリア語で「満たされた」という意味のあるムリータは、レバノン南部がイスラエルにより占領されていた期間にヒズボッラー軍が拠点を置いた山の名前でした。

 

キャッチフレーズ

ムリータ博物館のキャッチフレーズは、「天空に向けた地上の物語」というもので、英雄や殉教者などの地上の人々の物語を空の住人のために語るというコンセプトに基づいています。同博物館のロゴは、イラン人芸術家のマスウード・ナジャーバティー氏によってデザインされました。

 

博物館の構成

ムリータ博物館は、次のような様々なエリアから構成されています。

中央広場:博物館の中心に位置する広場は、来館者が集まる場所となっています。

ムリータ記念室:来館者向けのお土産や記念品がある場所です。

多目的ホール:収容人数150人のこのホールは、映画の上映、会議、各種レクリエーションなどに使用できます。

展示室: 戦利品の一部やイスラエル軍およびその編成に関する情報などを展示しています。

モガーク(縦穴)エリア:博物館敷地の西端にある3500平方メートルの広さの複合エリアには、イスラエル軍の使用していた戦車・メルカバ4をはじめとした装甲車車両・兵器などを展示しています。

マスィール(通路)エリア:ヒズボッラー軍が拠点としていた森の中の険しい区画を含むエリアです。

ガール(洞窟)エリア:ヒズボッラー軍の戦士が塹壕とするために3年間かけて掘った区画の一部にあたります。200メートルの長さのこの洞窟には、複数の部屋や設備も備わっています。

展望エリア:1985年にレバノン抵抗軍により解放された、イクリーム・アル・トッファーフ、ザフラーニー、スィーダー、スール・アシュラーフの各村に隣接する、緑豊かなエリアです。

射線エリア:このエリアとそれに続く長さ200メートルの傾斜のついた道には、抵抗軍が使用した兵器などがあり、この場所が開設当初から現在に至るまでどのように拡大してきたかを示す場所となっています。

自由の広場: 来館者が集まってくつろぐことのできるこの場所では、レバノンの抵抗活動に使用された兵器の一部を展示しています。

メラージ(天界飛行)エリア:標高1060メートルとなるムリータ山の最高点は、占領の後に2000年に解放された、殉教者を思い起こさせる場所です。

井戸エリア:抵抗の戦士たちは、長年にわたりこの井戸の水を、飲料や身を清めるために使用していました。

管理・サービス施設エリア: 管理事務所、応接室、礼拝室、レストラン、駐車場、医務室などが含まれます。

 

それでは、Parstodayが厳選したムリータ博物館の写真をご覧ください。

 

ムリータ博物館の全景

 

ムリータ博物館内部

 

「イスラエルの地獄」広場

 

 殉教したヒズボッラー初代事務局長セイエド・アッバース・ムーサヴィー師の礼拝場所

 

ヒズボッラーの司令室

 

ムリータ博物館内部

 

ヒズボッラー現事務局長ナスロッラー師の言葉「イスラエルは蜘蛛の巣よりも脆い」を視覚で伝えるモニュメント

 

 


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