中流階級の脱出;シオニストのユダヤ人種主義がイスラエルを内部破壊させるメカニズムとは?
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中流階級の脱出;シオニストのユダヤ人種主義がイスラエルを内部破壊させるメカニズムとは?
英ロンドンを拠点とし西アジア関連情報を扱うオンライン・ニュース事業「ミドル・イースト・アイ」のアナリスト、アーベド・アブーシェハデ(Abed Abu Shehadeh)氏がある記事において、シオニスト社会と統治機構内において客観的かつ深刻な分裂と断絶が進行している状況を取り上げました。
【ParsToday西アジア】イランイスラム革命防衛隊に近いニュースサイト、マシュレグ・ニュースによりますと、アブーシェハデ氏は「シオニスト政権イスラエル内で強力な極右派閥が台頭し、定着している」と述べ、イスラエル現政権存続に立ちはだかる最大の脅威因子として、シオニズム運動の好戦主義的な思想と手法が支配的であることを理由に、占領地でも主にテルアビブから裕福な「中流階級」と技術官僚が逃げ出していくことを挙げています。中流階級の抗議と批判の声は今や、元イスラエル軍中将ダン・ハルツ氏、モシェ・ヤアロン同軍元参謀総長、ダン・メリドール議員といった人物から出ているのが現状です。
しかし、アブーシェハデ氏は結論として、「そのような人物によるネタニヤフ・現イスラエル首相とその過激派同盟者に対する批判は、実態がなく無益である。なぜなら、彼らはまだパレスチナ人の深い苦痛や苦悩を認識していない上、現在の戦争や深刻な治安上の脅威に関するニュースをそれほど知らずに、安寧な生活というぬるま湯に浸かっていたイスラエル人の死を嘆き悲しんでいるだけだからである」と語っています。
反ネタニヤフ派の評論家らは、終末論的な右派が政府内で覇権を強めるにつれ、イスラエルの中産階級が占領地脱出の方向に向かうだろう、として懸念を示しています。
ネタニヤフ首相の政敵であるベニー・ガンツ元戦争相は、同首相が去る4月初めに米ワシントンから戻った際に対イラン攻撃を支持するキャンペーンを開始しました。これは、ガザでの戦争の長期化と疲弊した予備役兵への負担増大によりイスラエルで社会不安が高まっていたのと同時期に当たります。
イスラエル議会の野党がネタニヤフ首相の主導権の終結を待ち望んでおり、「完全勝利」という妄想を受け入れることを避けている中、イランへの攻撃は地域全体に混乱を引き起こすリスクを伴うと考えられます。同時に、シリアにおけるイスラエルの軍事作戦は戦略的混乱を深め、イスラエル政権を新たな泥沼に陥れつつあります。

こうした攻撃的な行動がイスラエルの軍事力の限界を露呈させる一方で、水面下ではより深刻な一大紛争が沸き起こっています。それは「テルアビブ政府」と、イスラエル占領下のパレスチナ・ヨルダン川西岸のイスラエル側呼称で、いわゆる「ユダヤ・サマリア政府」との間のアイデンティティ危機です。
この内部分裂は、ますます顕著になる一方です。最近、イスラエル占領地内諜報機関・シンベトのある職員が前代未聞の治安プロトコル違反を引き起こし、ある閣僚とジャーナリストに機密資料を漏洩したとして逮捕されました。
しかも、もっと衝撃的な出来事も発生しました。それはスモトリッチ・イスラエル財務相が、シンベトのロネン・バー長官が出席するだろうという理由で今週の戦争閣議への出席を拒否したことです。
同時に、シンベトは現在、首相官邸からの治安情報の漏洩、そして極度の人種差別主義者で終末論的な思想を主張する過激派のユダヤ律法学者、メイル・カハネ(1932-1990)の信奉者および、この人物とつながりのある極右政党「ユダヤの力」党員であるカハニスト(ユダヤ民族至上主義)活動家による警察機構への浸透について捜査中です。


現在、複数の諜報機関が不和・分裂に巻き込まれています。右派のベン・グヴィル占領地内治安相が率いる警察は、占領下のヨルダン川西岸におけるシオニスト入植者による暴力抑制を回避しています。対照的に、イスラエル諜報機関シンベトは依然として政府官僚や反ネタニヤフ派と結託を続けています。こうした対立は、イスラエルのメディア界全体にも顕著に表れているのです。
結局のところ、今日のシオニズムは、相互に対立する倫理観を持つ2つの政治的現実に分裂しており、その分裂は今や政府自体の中に組み込まれています。
多方面から上がる反対の声
さらに、右派内部からもネタニヤフ首相への批判が始まっています。前出のモシェ・ヤアロン氏、ダン・メリドール氏、ダン・ハルツ氏といった著名な好戦主義的高官を含むメンバーは、かつては同盟者だったのが、今では右派陣営内における反対と批判のリーダー格となっているのです。こうした人物らは消極的な議会野党とは異なり、脅威は戦争だけではなく、ネタニヤフ氏が着手したより広範な社会変革にも潜んでいることを熟知しています。
中でも、ヤアロン氏は参謀総長在任中、占領下のヨルダン川西岸地区で自らも、多数の死者を出す作戦を指揮しましたが、最も視聴率の高い時間帯のラジオインタビューで、イスラエルはガザ地区に「赤ん坊を殺すために兵士を派遣しないよう期待する」と発言し、シオニストの視聴者に衝撃を与えました。彼はまた、イスラエルがガザ北部で民族浄化に手を染めていることも認めています。

加えて、元法務大臣のメリドール氏は、イスラエルのメディアからシオニスト政権の政策における人種差別の台頭をめぐる質疑に対し、イスラエルがかつて極右派のユダヤ教律法学者メイル・カハネ氏の政党を、同党の人種差別主義政策を理由に選挙から排除した事実(そして再びこの措置がなされる可能性があること)を、改めて提起しました。
また、人口動態の現実によりガザ地区とヨルダン川西岸地区をイスラエル領に併合することは不可能であると認めつつも、占領下のヨルダン川西岸における入植者の殺傷・暴力行為を調査するようイスラエル諜報機関に要請しています。

そして、元イスラエル空軍司令官ハルツ氏もガザ戦争に公然と反対し、「この戦争は憎悪を深め、敵を強大化させるだけだ」と警告しました。
ハルツ氏は最近、イスラエルの新聞ハアレツとのインタビューで、ネタニヤフ首相の社会工学プロジェクトが占領とイスラエル政権リベラル派の存続の間の微妙なバランスを崩すのではとの恐れから、自分の子供や孫たちがイスラエル占領地からの完全な退去を決意するかもしれない、という懸念を示しました。

これらの要人は、左派の多くが依然として否定している事柄を理解しています。つまり、シオニスト右派は単純に戦争を継続しているのではなく、文化的覇権の掌握に向けて準備を進めています。左派が現実的な代替案の提示を避けている一方で、シオニストの「約束の地」を信じる極右派は、イスラエルのアイデンティティを再定義する可能性のある長期的な一大イデオロギー闘争の下地を整えつつあるのです。
ガザ戦争におけるイスラエルの戦火の1つを挙げるとすれば、それは大量虐殺的な暴力を振るいながらもイスラエル人にとって「正常な状態」を維持できたことだと言えます。数万人のパレスチナ人と数千人のレバノン人が殺戮された一方で、シオニストらの生活は恙なく継続されてきました。オランダ・ハーグにある国際裁判所での大量虐殺をめぐる対イスラエル非難、国際的な抗議、経済制裁にもかかわらず、イスラエル社会は何の問題もなく存続しているのです。
肝心な問題は無知・無明ではなく、物事を異なる視点から見る心理的能力です。イスラエル人は、情報に瞬時にアクセスできるにもかかわらず、ガザやレバノン首都ベイルートでの爆音が街中に響き渡る中でも、普段通りの生活を送り続けています。


「我々は知らなかった」などという主張は、もはや存在しません。数千人ものイスラエル兵士が戦争で自分たちが果たす役割を撮影し、一般人と共有しました。彼ら[イスラエル人]は知っており、また万人が知るところです。ここで恐るべきは無知ではなく無関心であることです。真の危険は、日常の快適さを維持しながら平然と大量虐殺を手を染め、幼児の死を正当化し、何の疑問も抱かない社会にあるのです。
脅かされる均衡
かつてはネタニヤフ首相と手を組んでいた人々は今や、この脅威に気づいています。それは、かつてイスラエルが他民族を支配しながら繁栄を享受できるようにした均衡に対する脅威です。この快適さと管理のバランスにより、市民は疑問を持たずに軍隊に従軍する意欲を持つようになりました。イスラエル兵らはおそらく独自の方法で、戦場からスパの入場券やスポーツ施設の割引券、贅沢な暮らしのインスタグラム投稿という憩いの場に戻ってきているとみられます。

しかし、「約束の地」を信じてやまない超シオニスト右翼は、それ以上のものを望んでいます。そのビジョンは、宗教戦争と無制限の領土拡大に熱を上げる軍事社会です。この潮流は権力の限界を無視し、大胆不敵に近隣のアラブ諸国との戦争を煽動・奨励し、多くのイスラエル人がまだ受け入れる準備ができていない文化的変革を求めているのです。


このバランスの中心にいるのは、主に占領地テルアビブを拠点としたイスラエル政権の経済的支柱をなす中産階級です。この階層はある場所では占領、別の場所ではリベラルな生活様式いう定式に耐えていました。しかし、彼らが沈黙を守っている間に、特に2005年のガザ孤立化の後、宗教右派は宗教間の薄い都市に宗教的な共同体やアカデミーを設立し、じわじわと権力機関に浸透するという戦略的プロジェクトを開始したのです。
時間の経過とともに、占領下のヨルダン川西岸の混乱はイスラエルの市民生活にも波及し、それにより文化的な緊張が高まり、市民的アイデンティティが変容しました。ネタニヤフ首相のかつての同盟者たちが懸念する事柄の一つは、富と流動性を備えたテルアビブの中産階級が簡単にイスラエルを離れる可能性があるということです。これはイスラエル経済の壊滅、さらには海外におけるイスラエルのリベラルなイメージの破壊を招く可能性があります。
おそらく、これらの批判派らが今自由に発言しているのは、彼らが選挙での再選や兵役復帰を意図していないからだと思われます。このことから、彼らは自分たちがこれまでその活発化に関与してきた物事について正直に話す機会が得られます。
彼らは、自分たちがかつてはネタニヤフ首相の就任を支持したこと、しかし今ではそれによる負の遺産とともに生きていかなければならないことを熟知しているのです。
しかし、彼らは自らの批判においてさえも、よくある失敗に陥っています。それはつまり、パレスチナ人の人間性を依然として注目の中心に据えていないということです。彼らにとって、パレスチナ人は依然として脇役でしかありません。パレスチナ人の自由と平等の権利が倫理的指針として認められるまでは、彼らが批判する主題(ネタニヤフ首相とその極右同盟者)の代替にはなりえません。彼らは単に、かつて知っていたイスラエル人を悼んでいるだけなのです。