米シンクタンク、「モサドとCIAがイランに関して誤評価」
米シンクタンクのセンター・フォー・ナショナル・インタレスト(CNI)が、イランの状況に関してシオニスト政権イスラエルおよびアメリカの諜報機関が立て続けに誤った予測をしているとして、「このような失敗は、イスラエル諜報特務庁(通称:モサド) とCIA米中央情報局が、一部の信頼できない情報源に過度に依存していることが原因である」と強調しました。
CNIは報告書において、CIAやモサドを信頼すべきではないと強調しながら、「これらの組織は、イラン国内の現実を正確に理解していない」と指摘しました。
そして、モサドとCIAが行った、イランの動向に関する完全に間違った予測の実例を列挙し、「米情報機関が無能を示した経歴は、1979年のイランイスラム革命を予測できなかった事例にまでさかのぼれる」と説明しました。
イランでイスラム革命が起きる少し前の1978年8月、CIAは当時のカーター大統領に対し、「イランは革命になるような状態になく、”革命前夜”ですらない」と報告していましたが、その半年後にパフラヴィー政権は、イスラム革命によって打ち倒されました。
CIA長官は後に、自分たちがイランの状況を予測できていなかったと認めています。
CNIはさらに、報告書の別の部分において、シオニスト政権の情報機関、特にモサドが目的を達成できなかったことを取り上げ、「イスラエルの諜報機関も、米国の諜報機関と同様に、イランでの政治的変化を正しく予測できなかった」としました。
機密文書によれば、1979年のイスラム革命以前にテヘランにいたシオニストグループは、当時のイラン国王が「国内の安定」を達成しており、その治世が大きな混乱なく続くと信じていました。シオニスト政権がイラン国王の抱える問題に気付いたのは、その治世の最後の年になってからでした。
報告書はまた、レバノン動向についてもモサドが誤ったことに言及し、「彼らは、イスラエルが侵攻先のレバノン南部から撤退すればすぐに、(イスラエル軍に打撃を与えていたレバノンのシーア派組織である)ヒズボッラーという語もシオニストらの間で使われなくなるだろうとしていたが、もちろんそのようなことにはならずに、レバノンとヒズボッラーはその後、抵抗の枢軸の正式な一員となった」としました。